概要
日本の電機・電子機器の開発・販売を中心とした複合企業「SONY(ソニー)」の創業者の一人である。
大正10年(1921年)に、愛知県名古屋市で代々続く造り酒屋である盛田家に生まれ、父の久左衛門は第14代当主。大阪帝国大学の理学部を卒業後、大日本帝国海軍に入隊し技術将校となった。最終階級は中尉。
終戦後は東京工業大学で講師をしていたが、元海軍将校という経歴からGHQの占領政策「公職追放」により辞職させられてしまう。
しかし、海軍時代に知り合った井深大が技術企業を創ろうとしていることを知り、彼と共にSONYの前身である「東京通信工業」株式会社を立ち上げた。
その後に日本初のテープレコーダーやトランジスタラジオを世に送り出した。昭和33年(1958年)に社名を「SONY」株式会社に変更し、昭和49年(1976年)に盛田は社長に、その5年後には会長に就任した。
会長時代の昭和52年(1979年)には世界の音楽文化を根底から覆したと言っても過言ではない、世界初のウォークマンを開発・発売するなど、名実共に「世界のSONY」を作り上げた人物の一人。
彼は「日本は福祉国家ではない」という持論から、社会主義には否定的な立場であったとされているが、一方で彼は「企業はただ儲かればいい」という見地には立たず、「企業は地元の文化にも貢献すべきだ」と主張し、慈善事業やその国の文化に対しても積極的に投資すべきであるという哲学を掲げていた。企業は単に金儲けをすればいいのではなく、地元の発展に寄与してこそ異国の地で長期的に成功を手にできるという彼の考えは非常に先進的なことで、海外でも高く評価された。
平成4年(1992年)にはイギリスから功績の顕著な人物を讃える、ナイトに与えられる称号である名誉大英帝国勲章を授与された。