薬師寺れいら
やくしじれいら
CV/岡本麻弥
名だたる大女優であり、多忙な為、殆ど家にはいないようだ。
さあやは幼い頃からテレビや広告越しに母親の姿を見るようになって、母が活躍する画面の向こう側の世界に行ってみたいと思ったことが子役になったきっかけである。つまりさあやの芸能界デビューは彼女の意志であり、れいらが押し付けた訳ではない(むしろ、さあやは自分が芸能活動をすることが母親の迷惑にならないかと心配しているくらいである)。
性格は厳しい芸能界のトップだけあってストイック。与えられた役には苦手なことでも全力で挑んでいる。
娘の芸能活動に対しては「二世タレントは色々と叩かれる」ことを意識して敢えて突き放した態度をとっており、さあやに今後のあり方をしばし考えさせた(第26話)。
一方で目の前のおもちゃの山にダイブしながら転んだり、長年料理が苦手なのを克服できなかったりとお茶目な面もある(前者は奇しくもさあやが第14話でやったこととほぼ同じだったりする)。
仕事に生きる女性であり、さあやがまだ言葉も喋れないような乳児の頃でも育休はとらずに女優としての活動を継続していた。
しかし「母親と女優の両立」にこだわり、さあやを保育所などに預けることをせず、さあやを連れて撮影所に赴いていた。
撮影の合間に世話をするからと娘連れの撮影を許可して欲しいと監督に直談判したときは、監督は「女手一つでそんなことができるわけない」と彼女の決意を無謀だと切って捨てたうえで、「だから、みんなでやるべきだ」として当時の撮影所のスタッフがみんなで協力してさあやの育児をすることで、れいらの負担を軽減することを決めたのだという。つまりさあやは、この撮影所で実の親以外の大人たちの愛情も受けながら育てられていたのだ。
さあやはこのことを覚えているわけもなく、さらに両親から知らされてもいなかったため、第26話で撮影所のスタッフからそれを教えられた際は大変驚いていた。それは今自分たちがはぐたんを「みんなで」お世話してることと全く同じだったからである。
44話ではさあやの目標であった映画での親子共演がついに実演。
だが、リストルによって映画の世界を再現したバーチャル空間に閉じ込められてしまう。
しかし役に入り込んだれいらは一向に動じず、舞台のリアリティが上がったのだから撮影をやらない理由はないとやる気満々になっていた。
だが、さあやの方は色々と気になっていることがあってあまり演技に身が入らず、れいらは「適当な演技だと、親子共演ということで芸能ニュースで話題が消費されて作品には注目されない」と厳しい態度で叱咤。
母の思いに応えるためさあやは必死に演技をする。そしてその中で、さあやはれいらに自分が何に迷っていたかを告白した。
自分は「医者になる」という新しい夢ができたから、この映画で女優はやめるつもりだと。だからこそ、お母さんと共演する最後の機会であるこの撮影は全身全霊で挑みたいと。
れいらはその娘の覚悟を1人の女優の言葉として尊重し、自分もまた最高の演技で答えた。
厳しくも優しい目で娘の旅立ちを見守る母の鑑……と、これだけならそうだったろう。
だが、そこにリストルが現れ、れいらの心の奥底に潜むドロドロした欲望をトゲパワワとして取り出し、それを増大させ、れいらを素体にした猛オシマイダーを作り出す。
さあやに対して「1人の女優」として人格を尊重して向き合ってきたつもりのれいらだったのだが、実際は心の奥底で自分の娘が自分と同じ道を選んだことに対する優越感と独占欲を隠し続けていたのだ。そして娘がそこから離れることに、自分でも理解できないショックを感じてそれがトゲパワワとなったわけだ。
しかし、それは親としては自然な感情。さあやはれいらが自分を本当に愛してくれていたことに感謝をし、その思いはオシマイダーの浄化するきっかけとなり、れいらは解放される。
戦闘後に改めて取り直された撮影では、脚本と違うアドリブを通じて親子はエールを交換しあった。
岡本女史はかつて「ニチアサキッズタイム」内で『メイプルタウン物語』・『新メイプルタウン物語』で主役パティ・ホープラビットを演じていた。
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女優ではなく自分の目指す、医者としての道を選んださあやちゃんと母親であるれいらさんの対話。 れいらさんとしては娘と同じ道を歩めなくなってしまったことは残念だと思うけど、娘の成長もまた喜んでるのではと思います。 さあやちゃんには素敵なお医者さんになってもらいたいものですよね。1,137文字pixiv小説作品