概要
- 生年 不詳
- 没年 建武2年8月16日(1335年9月6日)
諏訪大社大祝であったが、父・頼重とともに北条高時の次男・時行を擁して、建武2年7月挙兵、一時は足利直義を破って鎌倉を陥落させるものの京より下向した木曽家村(木曾義仲七代孫)に大敗、頼重・時継父子ら43人は鎌倉・勝長寿院において自刃した(中先代の乱)。
時継の遺児・頼継は父の自刃後、7歳で諏訪大社領を追われ潜伏、興国元年/暦応3年(1340年)6月、北条時行とともに兵をあげている。
歴史書に上記の記事しか残されておらず、どのような人物なのかも不明なため、『逃げ上手の若君』を監修した歴史学者からも
「諏訪大社の次期当主という立場でありながら」
「個人としての時継の記録はほとんど無い」と言いきられ、
「マジで何も無い」と口をそろえられてしまった。