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重雷装巡洋艦

じゅうらいそうじゅんようかん

日本海軍の巡洋艦のうち魚雷装備に特化した巡洋艦。ただし海軍で使われていた正式な呼称ではない。
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某ブラウザゲーの影響で知名度が大幅に上昇したが、大日本帝国海軍では正式に重雷装巡洋艦の名称が使われていたことはなく、(むしろ同系統の艦種よりも雷装を多く積む場合は「重雷装艦」と呼ばれることが多いが)あくまでも軽巡洋艦だった。ゲームでの重雷装巡洋艦については重雷装巡洋艦娘のページで。

概要

太平洋戦争開戦前、軍はもし米軍と戦争になった場合に、太平洋を渡って来る米艦隊を迎え撃つべく「まず潜水艦と航空機で敵戦力を漸減、その後日本近海において主力である戦艦部隊による艦隊決戦で決着を付ける」というシナリオを立てていた。
このシナリオにおいて戦闘を優位に進めるべく1937年に考えだされたのがこの重雷装艦である。

改装と活躍

この艦への改装に抜擢されたのは球磨型軽巡洋艦大井北上木曾の3隻で、1941年より大井と北上の改装工事が開始された。この時魚雷発射管を両舷で10基40門設置した他主砲副砲の撤去、艦橋の拡大などの大改装が実施され、海戦で活躍するかと思えば時代はすでに空母艦載機の航空戦力が主力の時代。活躍の場など無いに等しく、主に巡洋艦の速力を活かして輸送任務で活躍。大井は1944年7月に沈没するも北上は人間魚雷回天を8基搭載する回天母艦として戦中を過ごし、呉軍港空襲で大破するも修復され戦後の復員輸送で活躍の後解体された。

木曾は重雷装艦への改装工事が実施されず、1944年11月13日マニラ湾で米軍機の攻撃を受けて大破着底した。

関連タグ

軍艦 水雷戦艦

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