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概要・経歴編集

1993年6月27日生まれ。福岡県糸島市出身。ポジションはピッチャー

5歳の時に地元のスポーツ少年団に入団して野球を始め、中学時代には地元の硬式野球クラブに所属していた。

鹿児島実業高校2年生時に、夏の甲子園へ出場。救援で2試合に登板し、計7回を投げて被安打9、奪三振5、与四死球4、自責点3、防御率3.86の成績を収める。

3年時の夏の甲子園は県大会準決勝で敗退するも第9回AAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出されている。


高校卒業後は西濃運輸に就職。1年目に出場した社会人野球日本選手権大会では1回戦に3番手で登板。被安打2、与四死球1、自責点1の成績を収める。

2015年のドラフト埼玉西武ライオンズから3巡目で指名を受け、背番号23を背負って西武へと入団した。


2016年6月に出場選手登録される。

2020年1月声優の佳村はるかとの結婚を発表。一軍で活躍する姿を見せたいとコメントを発表するも前年からの不調から復調出来ず、一軍では3試合のみの登板に留まり、2軍で30試合登板するも1勝1敗1セーブ、防御率5.00という低調な成績でシーズンを終えた。同年11月、戦力外通告を受け、現役続行を目指してトライアウトに参加するも、手を挙げる球団はなく12月に引退を表明した。


自身が生後間もなく川崎病を発症した経験から、チームメイトの増田達至中村剛也の行っている埼玉県立小児医療センター内にある家族宿泊施設への寄付に2020年から参加。一軍公式戦に1登板する毎に5,000円を寄付するとしていたが、不調から一軍での登板回数が3試合に留まり、寄付額は僅かなものとなってしまった。


現役引退後は千葉県のスーパーマーケットでアルバイトをしながらボートレーサー試験に特別推薦枠で挑み、高倍率の試験を乗り越えて見事合格。ボートレーサー養成所へ入所し、ボートレーサーの道へ進むこととなった。

2022年11月3日、戸田競艇場第1競走でデビュー。

2023年7月8日、戸田第1競走で競艇選手として初勝利を挙げた。

ちなみにプロ野球選手からボートレーサーへ転身するのは1947年の早瀬薫平(元阪急ブレーブス。阪急時代は早瀬猛)以来、74年ぶり2人目。

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