概要
規模は様々で、太平洋戦争中の日本では家庭の敷地にも手製の小規模防空壕が多く作られた。
自治体や軍の施設により作られたものだと、コンクリート製のものもある。
しかし、当時の防空壕の中には現在忘れられて朽ちて行き、落盤などの危険を引き起こしかねない状態になっているものもある。
沖縄戦では特に自然の洞窟(ガマと呼ばれる)なども防空壕やトーチカとして利用された。
他、ナチスドイツではベルリン、ハンブルク、ウィーンに「高射砲塔」と呼ばれる対空要塞砲台を建造した。
これは対空砲の射界を十分に取るために、がっしりとした塔状の構造物に重高射砲や対空機関砲を載せたもので、防空砲台としては米英連合軍の重爆撃機の大群の前にあまり戦果は挙げられなかったが、とにかく頑丈堅牢で、多数の市民を収容するシェルターとしては有効に機能した。
あまりに頑丈なので撤去しづらく、ハンブルクとウィーンにはいくつか残っており、民生転用されていたりする。
ロリアンなどナチスドイツが利用した港町のいくつかには、Uボート・ブンカーが建設された。これは入港中のUボートを爆撃から護るもので、有効に機能した半面、異様に堅牢なために(まあ、相手が相手だから仕方ないのだが)、撤去費用が掛かりすぎるとして現在も残されて港湾施設などに使われていたりする。
国によっては地下鉄を有事の際に防空壕として転用するところも少なくなく、この1つである韓国では地下鉄の撮影は禁止されている。
また、東側国家の地下鉄は有事のシェルター等、軍事利用を念頭に置いて設計されていると言われている。
実際にキーウの地下鉄はシェルターとしても活用された。