陳羣
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ちんぐん
陳羣とは、三国時代の魏の政治家。字は長文。頴川郡許昌県出身。
生年不明~魏の青龍4年12月癸巳の日[旧暦12月24日:西暦237年2月7日]没
清流派に属する名家に生まれる。祖父は陳寔、父は陳紀。
祖父には特に目をかけられており、「この子は必ず一族を盛んにするであろう」
と評価されていた。
最初は劉備に仕えたが、進言を容れられなかったため下野した。
※尚、劉備に仕えていたことは、演義には記されていない
曹操が呂布を滅ぼした際下邳におり、召し出されて司空西曹掾属に任命された。
蕭・賛・長平の令に任命されたが、父が亡くなったため一度官職から離れ、
のちに治書侍御史となり、参丞相軍事に転任した。
魏が建国された後、昇任して御史中丞し、曹丕が魏王になると昌武亭侯に取り立てられ、尚書に転任した。
陳羣の建議により、九品官人法が制定された。
曹丕が魏帝となると、尚書僕射に昇任し、侍中の官を加えられ、尚書令に転じ、頴郷侯に爵位が勧められた。
曹丕が孫権を征討して広陵まで行った際、中領軍を兼任し、帰還後、節を与えられ、水軍を統率した。
許昌に帰ると、鎮軍大将軍とされ、中護軍を兼任し、尚書の事務を取り扱う。
(※陳羣を鎮軍大将軍としたのは文学大好きな曹丕の遊び心かもしれない)
曹丕が病に臥すと、曹真・司馬懿とともに遺詔を受けて政治を補佐した。
曹叡が即位すると、頴陰侯に昇進し、五百戸を加増された。
曹休・曹真・司馬懿とともに府を開設して属官を置けるようになった。
その後、司空となり、もとのとおり尚書の事務を取り扱った
青龍4年(236年)逝去し、靖侯と諡された。
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