プロフィール
所属 | 新日本プロレス |
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血液型 | AB |
誕生日 | 1983年4月5日 |
出身地 | 東京都足立区 |
身長 | 172cm |
体重 | 83kg |
ユニット | ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン |
キャッチコピー | 漆黒のデスマスク |
スポーツ歴 | キックボクシング、ストリートダンス |
経歴
子供の頃に憧れた戦隊モノをきっかけにプロレスを観始め、獣神サンダー・ライガーなどの人気のマスクマンに魅せられる。Jリーグブームでサッカーに関心が移ってからはプロレスと距離を置いた時期もあったが、高校の専門科目で柔道を選択して以降は再びプロレスを観るようになったという。
その後アニマル浜口ジムで後にパレハ(仲間)となる内藤哲也や鷹木信悟と研鑽を積み、2007年3月に全日本プロレスでデビュー。同時期にSANADAも同団体でデビューしている(BUSHIが3月12日、SANADAが3月13日)。
デビュー当時のリングネームはT28(本名の哲也から)で、入場時に得意のブレイクダンスを披露する、新人らしからぬシルバーのハーフパンツにキャップを被った装いなど独特のスタイルで存在感を示した。
マスクマン「BUSHI」としての活動は本人の意思で出発した2008年のメキシコでの武者修行から。
2009年にコントラマッチに敗北して素顔を晒すも、愛着が湧いたことから日本に帰国後も引き続きBUSHIのリングネームとマスクで活動を続ける。
その後2012年5月から団体の新たな取り組みとしてレンタル移籍といった形で新日本プロレスに参戦し、翌2013年に完全移籍を果たした。
しかしその翌年に試合中のアクシデントで急性硬膜外血腫、脊髄震盪、第12胸椎骨折という大怪我を負い、長期欠場に追い込まれる。
復帰に向けた練習中の怪我でさらに復帰が遅れ、絶望的な状況となったBUSHIに転機が訪れた。
2015年、メキシコのロス・インゴベルナブレスに加入以降、観客のブーイングにもお構いなしになりふり構わぬ自由なファイトをしている旧知の仲の内藤に刺激を受け、「コレで無理だったら諦める」という不退転の覚悟でロス・インゴベルナブレスに加入し、内藤、EVILとロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを結成。
その後はジュニアの至宝であるIWGPジュニアヘビー級王座、IWGPジュニアタッグ王座、NEVER無差別級6人タッグ王座などのタイトルを奪取する、高橋ヒロムの欠場中はウィル・オスプレイとIWGPジュニアを賭けて敗れはしたものの壮絶な好勝負を繰り広げる、ヘビー級のトップ戦線で活躍しているザック・セイバーJr.と急遽組まれたシングルマッチで大金星を奪うなどの活躍を見せている。
得意技
メキシコマットでの豊富な経験を生かしたルチャのテクニックや軽快な動き、狡猾なインサイドワークを駆使した試合運びが特徴。
また、L.I.Jのベビーフェイス色が強くなり他のメンバーのファイトスタイルが軒並みクリーンになってからも、彼だけは着ていたTシャツやパイプ椅子を凶器として使用する、毒霧を噴くなどの反則を引き続き使用し続けている。
MX
BUSHIの最上級のフィニッシュ・ホールドであり、技名はメキシコの国別コードトップレベルドメインに由来する。
コーナーセカンドロープで腕を交差させるアピールを行った後、フラフラ立ち上がった相手に両膝を突き出したまま飛びつき、相手の顔面に自らの両膝をめり込ませる飛びつき式のコード・ブレイカー。大一番ではコーナートップロープから放って勝負を決める。
ブシロール
逆さ押さえ込みで丸め込んだ相手にブリッジをしながら覆い被さり3カウントを奪う。
毒霧や急所蹴りの後にこの技に移行することも。
ちなみにこの技で前述のザックからフォール勝ちを収めている。
トペ・スイシーダ
リング上から場外の相手にトップロープとセカンドロープの間を潜って飛んでいくルチャの代表的な飛び技。
高速かつ美しい空中姿勢でロープの間を潜り抜け真っ直ぐに飛んでいく姿から通称は「BUSHIロケット」。
毒霧
黒や緑の液体を相手の顔面に噴きかける反則技。
セコンドについた際やタッグマッチでもレフェリーの目を盗んで使用しているが、2020年は情勢に配慮し使用を自粛した。
人物
- 決め台詞は「エンセリオ、マ・ジ・で!」。エンセリオとはスペイン語で「本当に」を意味し、後に続く「マジで」と同義である。
- ビジュアル面へのこだわりが強く、黒いマニキュアやルージュを塗っているほか、毎試合マスクとタイツ、アームカバーといったコスチュームを変えている。
- 年間300枚以上のマスクを作っているが、一度使ったものは二度と使用しない。また、春は桜をイメージしたピンクのマスクにしたり、ゴールデンウィークには鯉のぼりの柄を入れたりと、時期やシチュエーションに応じたテーマをあしらうことも多い。
- 今でこそジュニアヘビー級だが、高校時代柔道を始めてからは体重を増やし、成人式には100kgを超えていた。
- また、高校時代に軽い気持ちで「芸人かホストかプロレスラーになる」と卒業後の夢を語り、教員から「人生ナメてる」と叱責されたこともある。
- 好物は唐揚げ。日本唐揚協会が運営する唐揚検定を受験・合格し、「カラアゲニスト」の資格も持っている。
- 唐揚げ好きが高じて葛飾区に唐揚げ専門店「唐揚専門 東京丸武商店」をオープンし、オーナーとなった。
- 前述の通りL.I.Jの他のメンバーとの繋がりが強いことから、ユニット内の潤滑油的な存在として見られることも多く、内藤からも「BUSHIはL.I.Jのお母さん的存在」と評されている。