概要
まだ鉄道による貨物輸送が盛んであった1960年代のこと。ローカル線での貨物列車や駅での入換には未だに蒸気機関車が現役であった。これらの路線では線路が貧弱なことからDD51といった大型ディーゼル機関車の入線はできず、かといってDD13は非力でとうてい本線走行はできないといった状況であった。こういった状況では無煙化は遅々として進まず、幹線を追われた大正時代製の8620形や9600形といった古典蒸気が未だに活躍していた。
そんな状況は国鉄にとっても好ましくなく、1966年に軸重は軽いがパワーもありローカル線や操車場でも使用可能なディーゼル機関車を開発した。これがDE10であり、これを元に翌1967年から重入換用として製造されたのが本機である。
客車牽引をしないので、暖房用蒸気発生装置が搭載されていない、重連総括制御機能とそれに関連するジャンパ栓の省略、空転を防ぐためコンクリートブロックの死重を載せて重量が5t増しの70tになった等が、DE10との相違点である。
番台区分
0番台
都市部の操車場で貨車の入れ替えを行うため製造された。
計65両が製造され活躍したが・・・
1000番台
マルチに活躍させるために製造された。
入換はもちろんの事、ローカル線の貨物列車牽引も担当した。
計46両が製造され活躍したが・・・
2000番台
機関車というものには騒音が付き物である。昔より軽減のための努力がなされていたが目立った改善には繋がっていなかった。
そこで国鉄は都会で運用するDE11について「動力部分を覆っちゃえばいいんじゃね?」と思い、防音を徹底し、遮音材による防音や機関室の密閉を行った。
しかし、「数少ないから整備に手間が掛かる」「コストが高い」という声が上がったのか
僅か4両のみの量産に終わってしまった。
彼らに襲いかかった悲劇
1984年までは悠々と仕事をこなしていた彼らであったが、そこに突然悲劇が襲いかかる。
国鉄は1984年のダイヤ改正で「ヤード形式は無駄が多いから止めて、直行列車形式に変えるよ。コンテナ列車の割合を大幅に増やして入換は最小限にするから多くの機関車とコンテナ貨車じゃない貨車のみんなにはいっぱい現役を退いてもらうよ」
と悪魔の宣告をした。
そして、多くの機関車の中にはDE11 0番台と1000番台も含まれていたのだ。
丁度国鉄が分割民営化を控えいよいよ末期な状況であり、ローカル線の貨物輸送が廃止となった国鉄末期の彼らを受け入れてくれる路線はどこにも無かった。
1987年3月31日までに0番台の62両と1000番台の36両の計98両は除籍され、国鉄清算事業団の手により解体された。車齢15年未満で解体される車両も多く、国鉄改革に巻き込まれた不遇な形式であった。
JR化後
奇跡的に残った車両はJR東日本に0段台と1000番台計13両、JR貨物に2000番台計4両が承継されたがJR東日本の車両は客車列車の減少により次々と運用離脱し、2020年4月現在1041号機がただ1両のみ高崎車両センターに配置されている。
JR貨物の物は細々と首都圏で運行される状況が続いたが2010年以降JR東日本を追われてきた車両が加わり共に入れ替えや列車牽引にいそしんでいる。
しかし、近年になってDD200形機関車の投入が開始され貨物移籍組とて安泰ではなくなってきている。