1964年の東海道新幹線開業時、故障で立ち往生した新幹線電車の救援目的に製造した液体変速式ディーゼル機関車。日本車輌で3両が製造され、2両が国鉄時代に廃車された。1両がJR東海に引き継がれ1995年まで在籍していた。
概略
DD51をベースに凸型車体から箱型車体に変更、6つある車輪全てを動力軸に改めたもので、新幹線事業用車共通の青20号と警戒色の黄5号の塗装を纏う。
前面は非貫通構造の流線型で、後に登場する国鉄最強の電気機関車EF66やDD54を彷彿とさせるデザインである。
1号機はエンジンに初期のDD51と同じDML61S(1,000PS/1,500rpm)×2が使用されたが、2・3号機では性能に余裕を持たせるため、中期DD51と同じDML61Z(1,100PS/1,500rpm)×2に変更され出力が強化された。液体変速機は初期DD51と同じDW2であるが、使用目的によって引張力と速度を2段に切り替えられるように、高速段(160km/h)と低速段(92km/h)の副変速機を付加したDW2Bを搭載し6軸の車輪を駆動する。
これだけの高速性能を付加した理由は救援によって生じるダイヤの乱れを最低限にするためである。なお引張力は満員状態の0系16両編成を20‰勾配区間でも引き出せる程。
連結器はバラストホッパ車、工事作業員宿泊車、レール輸送車などとの連結と新幹線電車救援を考慮して新幹線電車用密着連結器と並型自動連結器の両方を備える双頭連結器とした。また救援運転時に新幹線電車側へ電力を供給するための発電機も備えている。
登場当時は世界最速のディーゼル機関車で、山陽新幹線新大阪-岡山間を所要1時間、平均165km/hで走破したことでディーゼル機関車の世界最高速を樹立した。
余談だが、登場時は雑誌鉄道ファン1964年11月号の表紙も飾っている。
運用
開発当初の目的の一つである救援列車は、幸いにもこの用途で使われることはなくもっぱら工事列車の牽引と自力走行できない軌道検測車である921形の牽引に使われた。
国鉄時代に1号機と3号機が廃車され、2号機のみがJR東海に引き継がれた。1995年に老朽化のため廃車されたが、その後も浜松工場で保管され毎年夏に行われる新幹線なるほど発見デーで展示されていた。2013年以降は一般公開されていないようですでに解体されている模様。