エドワード・ページ・ミッチェル(Edward Page Mitchell、1852年3月24日~1927年1月22日)は、アメリカ合衆国の短編作家であり、H・G・ウェルズに先行するSF作家の一人である。ミッチェルの主要な発表の場は、当時ニューヨークで発行されていた『タイムズ』や『ヘラルド』と並ぶ三大大衆紙の一紙『ザ・サン』であった。
ミッチェルが『ザ・サン』で発表したいくつかの短編では、タイムトラベルや透明人間や超光速運動や人工知能といった、今日のSFジャンルの原型と呼べる題材が扱われていた。しかしながら当時の出版状況下では、それらの短編は新聞に掲載されたきり単行本としてまとめられることはなく、20世紀前半には短編作家としてのミッチェルはほぼ忘れさられた存在となっていた。
1973年にSF評論家のサム・モスコウィッツによりミッチェルは再発見され、その作品の一部が短編集“The Crystal Man”(ISBN 0-385-03139-4)として出版された。同書の中でモスコウィッツは、ミッチェルを「アメリカSFの失われた巨人」として評価している。
ミッチェルは20歳の時に機関車事故で左目を負傷し、この時に緑内障を併発した右目を失明した(左目の障害は後に回復した。この時期に執筆されたのが、無限の高速運動を描いた『タキポンプ』である)。心霊現象にも深い興味を抱き、サン紙では実話形式の心霊小説も手掛けていた。取材をきっかけにブラヴァッキー夫人とも交友関係を持つようになったが、ミッチェル自身は彼女の心霊術はトリックであると考えていた。