曖昧さ回避
- ロックバンドXJAPANのメンバー。本記事で供述。
- GReeeeNのメンバー。⇒HIDE(GReeeeN)
- 日本のアニメーター。⇒hide channel
概要
X JAPANの上手ギタリスト。3つ下の弟がおり、生前マネージャーを担当していた。
メンバーの中で最年長だが、一番リアクションが子供っぽいとよく言われていた。
サービス精神旺盛で、ファンを喜ばせたり驚かせたりするのが大好き。
生前は暴れるYOSHIKIを唯一穏便に宥められるメンバーだったため、そのことから特にYOSHIKIからの信頼も厚かった。
1994年のイベントでYOSHIKIと布袋寅泰が大喧嘩した際は、彼が大ファンだったこともあり罪悪感を感じ布袋の楽屋に赴き謝罪しに行ったのはあまりにも有名。
XがTAIJIが抜けたベーシストの穴を埋めるために活動休止をしていた1993年にソロ活動を開始。
ギタリストながらボーカルのToshiに負けず劣らずCDは売れていた。
1997年の解散後、すぐにソロプロジェクト「hide_with_Spread_Beaver」を立ち上げ翌年1月に「ROCKET_DIVE」をリリース。解散の悲しみを吹き飛ばすかのようにヒットを飛ばした。
…だが、同年5月2日に自宅で33歳の若さで急逝。その死には現在も不可解な謎に包まれている。
結婚はしていなかったが婚約を決めていた恋人はおり、その彼女が第一発見者だった。
訃報がゴールデンウィークの丁度ど真ん中という時期だったのもあって、東京・築地本願寺で開かれた彼の葬儀には全国から数多くのファンが駆け付け、悲痛に打ちひしがれながらもその死を悼んだ。当時はまだ邦楽バブルが持続していたのもあり、現実を受け入れられないファンの一部が彼の遺体を乗せた霊柩車を追おうとしたり、中には後追い自殺に走った者さえ珍しくなかったりしたほどだった。
皮肉にも彼の死が社会現象へと発展する事となり、次のシングル「ピンクスパイダー」で自身初のオリコン1位を獲得しミリオンセラーを記録した。同年に発売したアルバム「Ja,Zoo(ヤズー)」もミリオンを記録している。
YOSHIKIも父親を34歳という早さで亡くしている経験もあって当時の彼の死には相当なショックを受け、2年近く立ち直れなかった。
また当時自己啓発セミナーに没頭していたToshiも解散後散々恨み言を繰り返していたX JAPANに対し、さらに消極的な態度を見せるようになってしまっていた。
後輩のLUNA SEAやGLAYがメジャーデビューする事が出来たのも彼が最初に目を付けた事がきっかけだった。
彼をリスペクトする歌手は非常に多く、死後25年以上たった今でもその影響は強い。
そのため、尾崎豊らと共に夭折が悔やまれるアーティストとしてよく取り上げられる。
余談
hydeとは全くの別人である。ただ本名は同じ(宝井)『秀人』である。
L'arc~en~Cielが関東に進出した際にはhideに挨拶に行った。
そしてhideも、Xがデビューした際に当時同じステージネームを名乗っていたBUCK-TICKのギタリスト・星野英彦の許に挨拶に行った。
関連イラスト
関連タグ
hide松:17年後に放映されたアニメ「おそ松さん」の登場人物「一松」が付けた衣装やメイク/髪型がhideに似ていたことから生まれたタグ。
ダンガンロンパシリーズ:生みの親・小高和剛が大ファンだった。スーパーダンガンロンパ2に登場する左右田和一のビジュアル面は彼をモチーフにした。
また、18年後に放映されたアニメダンガンロンパ3ではレーベルや親族に許可を得て、楽曲のひとつ『ever free』を希望編エンディングに使用している。