概要
弘法大師が現在の糸魚川市中心部を通過の際、「管に糸を巻きたるまま川(姫川?)に投げ入れたるもの、魚となるより糸魚と名あり」の伝聞がある。
やがて北陸道と千国街道(塩の道)の結節点として宿場が開かれ、江戸時代には越後高田藩(現在の新潟県上越市)の家老領が置かれる。
高田藩が越後騒動によって改易されると、糸魚川藩や天領を経て越前松平家の郡代が明治維新まで置かれるようになった。
新潟県に編入後1899年に糸魚川町が置かれ、1954年に周囲の7村と合併して市制施行。
2005年の大合併を経て現在に至る。