金朝
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きんちょう
12~13世紀に中国の北半を支配した王朝。Jīn。
国姓は完顔氏。1115年に興り遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、華南の南宋と対峙したが、1234年にモンゴル帝国(→元)に滅ぼされた。
都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。
後に1616年に同じ女真族の覚羅氏(後に愛新覚羅氏に改姓)のヌルハチにより再び「金国(アイシン国)」(本項で解説した金朝との区別のため後金とも称される)が建国された。こちらは1636年に国号を大清に改め、後に中国全土を支配した最後の統一王朝にまで成長している。
順に廟号(女真名、中国名、在位年)、続柄を示す。
- 太祖(阿骨打=アクダ、旻 1115年~23年)世祖・劾里鉢=ガリバチの次子。
- 太宗(呉乞買=ウキマイ、晟 1123年~35年)劾里鉢の四子。太祖の末弟。
- 熙宗(合剌、亶 1135年~49年)太祖の嫡子繩果(景宣帝/宗峻)の長子。
- 海陵煬王(迪古乃=テクナイ、亮 1149年~61年)太祖の庶長子斡本(宗幹)の次子。
- 世宗(烏禄、雍 1161年~89年)太祖の庶子訛里朶(睿宗/宗堯)の嫡子。
- 章宗(麻達葛=マダガ、璟 1189年~1208年)世宗の次子胡土瓦(顕宗/宣太子・允恭)の次子。
- 衛紹王(興勝=シンシャン、果縄=ハヒェン、永済・允済=ユンジ 1208年~13年)世宗の七子。章宗の叔父。
- 宣宗(吾睹補、珣 1213年~23年)胡土瓦(允恭)の庶長子。章宗の異母兄。
- 哀宗{寧甲速、守緒(遂王・守礼) 1223年~34年}宣宗の三子。別称:義宗。
- 末帝(呼敦=ホトン、承麟 1234年)康宗・烏雅束=ウヤスの末裔とされる。
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