ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
平家の編集履歴2014/07/29 18:55:56 版
編集者:夏みかん
編集内容:記事を追加

平家

へいけ

源平藤橘に数えられる日本の代表的な氏族。特に朝廷に仕えた伊勢平氏を指す。

曖昧さ回避

  1. 「平家」(名字): 漫画『CODE:BREAKER』の登場人物。→平家将臣
  2. 「平」()、特にその中でも有力な平正盛の一族のことを指す歴史上の「平家」(本記事で説明する)
  3. 平家物語』の略称。
  4. 遙かなる時空の中で3』に登場する平氏姓の人物。

歴史上の「平家」

平家の由来と概要

 平安時代に登場する平氏の人物もしくはその一族。「平」は本来は名字と言うより氏であり(名字と氏の違いについては人名の記事を参照)、氏が平の一族をまとめて「平氏」と呼ぶ。

 平氏の多くは関東を中心にした各地において領地をもつ武士となった。彼らは領地を名字とし、後の執権一族である北条氏や、千葉氏三浦氏等がその代表例である。これに対して氏以外の名字を持たず下級官僚として朝廷に仕えたのが、平清盛の祖先、伊勢平氏の一族である。朝廷は仕えている各々の氏について藤原氏は「藤家」菅原氏は「菅家」等と呼んだ。同様に名字を持たず朝廷に仕えた平氏を「平家」と呼んでいる。これが一般化して、北条氏らの在地武士と区別された朝廷に仕えた伊勢平氏を平家と呼ぶのである。

平家の歴史

 と並び皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の一つであり、つまり天皇家の血を引く人々であるため、その血統は尊ばれ、日本史において重きをなした(後世には箔付けのために勝手に平氏を名乗った一族も多いが)。特に有力であったのが桓武天皇の皇子をそれぞれ先祖とする桓武平氏である。その中でも高棟王の子孫は公家として江戸時代に至るまで重きをなし、堂上平氏と呼ばれた。先述のようにこの高棟王の子孫も朝廷に仕えて名字を持たない「平家」のはずだが、世間的には伊勢平氏嫡流が壇ノ浦の戦いので滅亡したことを平家滅亡と呼び、高棟王流はスルーされていたりする。

 これに対し高望王の子孫は関東で武士となって坂東平氏と呼ばれ、平将門が特に有名だが他にも北条氏や千葉氏などが含まれる。坂東平氏諸流の中でも高望王の曾孫平維衡伊勢の国を根拠地として勢力を伸ばしたので伊勢平氏と呼ぶ。その嫡流たる平正盛(清盛の祖父)の子孫が狭義の平家である。平正盛は勇猛な源氏の嫡流源義親の反乱を討伐したことで名を挙げ、次の平忠盛は諸国の受領を歴任して強大な武力と財力を手にした。その子である平清盛において最盛期を迎え、源氏を討滅し朝廷の実権も握って文字通りの平家政権を打ち立てた。しかし平宗盛の代に源頼朝らの反乱軍に敗れて伊勢平氏の平家は京都に残留した忠盛の五男平頼盛の一族を除いて滅亡する。

 頼盛が京都に残留した理由は不明である。清盛・宗盛親子に逆意を抱き、頼朝に通じていたとも、ただ単に置き去りにされたとも言われていているが、いずれにしろ、頼盛が鎌倉で頼朝と会い、荘園33ヶ所を安堵され、権大納言として朝廷に復帰したことは事実である。なお、頼盛の子孫は御家人として鎌倉幕府が滅亡するまで仕えている。

 また、伊勢平氏には他に室町時代政所執事を世襲した伊勢氏等の流れがあり、後北条氏の始祖北条早雲(伊勢宗瑞)はこの伊勢氏の血筋を引く平氏の子孫とされている。

「平」姓の著名な人物

桓武平氏高棟王流(堂上平氏、公家)

平時子 平時忠 平滋子

桓武平氏高望王流(坂東平氏、武家)

平将門

高望王流のうち平正盛の子孫(狭義の平家)

平正盛

>正盛の子

平忠盛(嫡子) 平忠正(三男)

>忠盛の子

平清盛(嫡子) 平経盛(三男) 平教盛(四男) 平頼盛(五男) 平忠度(六男)

>>清盛の子

平重盛(嫡子) 平宗盛(三男) 平知盛(四男) 平重衡(五男)

>>>重盛の子

平維盛(嫡子) 平資盛(次男)

>>>>維盛の子

平高清(平六代

>>忠盛の三男・経盛の子

平経正(長男) 平経俊 平敦盛(末子)

>>忠盛の四男・教盛の子

平通盛(長男) 平教経(次男)

>>忠盛の五男・頼盛の子

平保盛 (長男) 平保業 (五男)

関連記事

平家の編集履歴2014/07/29 18:55:56 版
編集者:夏みかん
編集内容:記事を追加
平家の編集履歴2014/07/29 18:55:56 版