阿武隈
あぶくま
阿武隈の概要、覚えてくれました?
「こ、こんにちは、軽巡、阿武隈です。」
珍しく同型以外の艦娘との関係を図鑑で話してくれる艦娘。
史実で艦首大破の追突事故を起こしてしまった北上には苦手意識、史実で大破時に護衛してくれたり沈没後に救助してくれた潮には感謝の念を抱いている模様。
なお北上との衝突事故による修理を機に艦首を改修したり、第一水雷戦隊の旗艦を長く務めたためか、長良型とは別扱いのレア艦扱いとなっている。
ちなみに衝突事故は阿武隈の方が加害者だったりする。一体艦娘になるまでに二人に何があったのだろうか…
ちなみに、太平洋戦争開戦から、自らの命運が尽きるその日まで、第一水雷戦隊の旗艦を務め上げている頑張り屋さんでもある。
ただレアリティは、空母勢や戦艦勢クラスの『金レア』であり、姉妹艦の中では最もレアティが高い。ドロップも西方海域(4-X)以降と道のりが長いが、一応建造でも出現してくれるので、ゲットできたら大切にしてあげよう。ちなみに鬼怒と阿武隈は建造時間が“1時間15分”と、普通の軽巡よりもやや長いのが特徴。
容姿、ご期待に応えます!
明るい茶髪にスカイブルーの瞳。
一見しただけでは構造の掴めない複雑怪奇な髪型が特徴であり、本人もかなり気を配っている様子で、よく髪型をセットしなおしたりしている自慢の髪である。
服装や艤装は由良や鬼怒と一緒で両腕とバックパック艤装下部(腰)の両側に単装砲を一門づつの計四門備え、薄緑と白のセーラー服を着用し、足にはブーツを履いている。
同じ長良型だが絵師が違う為か長良、五十鈴、名取とは服装・艤装のデザインが共に違う。ファンの間では、「由良以降の長良型の設計に若干の差違があることの表現」とも囁かれている。
性格、やるときはやるんだから!
大人しくちょっと自信がなさげで神経質。自分の名前が難しいのを気にしている。
しかし、史実では沈没し除籍するまで一貫して水雷戦隊旗艦を務めた偉い子である。
そのせいか負けず嫌いで見た目以上に子供っぽいところもある。なにより声が非常に幼い。
提督に関しては必要とされたいと思っており、必要とされると目に見えて喜ぶ。逆に放置ボイスなどでは不必要になったのではという不安が見て取れる。
また時報でも美容を気にしている割に深夜まで提督に付き合ったり、遠慮がちに提督と一緒に居たいというなど、その愛情も深いようだ。ちなみにお触りでは髪が崩れると反発するが、お触り自体は否定していないことから、提督LOVEの一人だと考えられている。
性能、あたし的にはOKです!
基本的な性能は一般的な軽巡と大差は無い。
しかし改造レベルが鬼怒同様にLv17と普通の軽巡よりも低く、開発では出にくい電探装備から「21号対空電探」を引っ提げて来てくれる。何気に少し出にくい「25mm三連装機銃」も持って来るため、図鑑埋めにも貢献してくれる。
また対潜能力が上がりやすく、高い対潜攻撃で敵潜水艦の掃討で真価を発揮。「鎮守府近海哨戒(1-5)」や、西方海域以降の潜水艦隊を相手に活躍が期待できる。
ただ弾薬費が(軽巡としては)やや重めなのが玉にキズ。
関わりの深い艦…正直いって、北上さんは苦手です。
衝突事故のせいで苦手。
とはいえ、艦首改修のきっかけでもあるので怪我の功名とも。
正確には阿武隈が北上に突っ込んだのでその一件で恨みを買ってしまっていると阿武隈が思い込んでいる(似た様な艦首破断をした初風は「首が取れた」という事なのでそれに準じる大怪我を負った記憶を持っている可能性は高い)のが原因らしい。
母港台詞を聞く限り北上が阿武隈の前髪を触るせいで髪型を崩されてるらしく、その事からも苦手意識を持ってるようだ。北上も阿武隈の前髪が気になってるのだろうか?
なお後に実装された北上の時報では北上本人は特に悪感情は持っていないらしく呼びかけても返事しない事から「変なのー」と発言している。
ちなみに公式4コマでは阿武隈の首を狙う北上さんの姿を見ることが出来る。
スリガオ海峡海戦にて被弾した際、護衛艦として随伴。
応急処置を受けてから阿武隈が沈没するまで随伴し、沈没時に潮が生存者の救助を行なっている。
四人併せて、クマーカルテットを構成……しない。
それどころか、クマーにはあと二人いたりする…。(クマ艦隊)
実は第六駆逐隊の4人は、第一艦隊・第一水雷戦隊旗艦である阿武隈の直属であった。
……が、艦これではあまりその点は触れられておらず、コストパフォーマンス上の観点からか入手難易度からか、むしろ天龍との関わりのほうが強そうである(艦これ名物天龍幼稚園)。
史実では後に、天龍を失った龍田率いる第十一水雷戦隊に配属されている(ただし暁はその頃には戦没していた)。
夜戦開始時台詞で「夜戦バカには負けない」と言っているがこれには理由があり共に同じ第一艦隊の水雷戦隊の旗艦を務めていた(阿武隈は一水戦、川内は三水戦)でありまた旗艦の仕事をシフト的に交代していた事もあった。その辺りを「同期に対するライバル心」として反映したのであろう。
余談になるが所属する第一艦隊の兵員食コンテストがあった際、阿武隈は巻き焼(卵焼きの一種)を出して無評価、川内はイワシの揚げ団子を出して高評価を得ている。
味の面では勝っていた様だがこのコンテストは保存コスト等多岐にわたる評価点が有ったので無評価となったようだ。
キスカ島撤退作戦においても主計科は意地を見せている。
ちなみに関連タグにもあるが、阿武隈、川内の名はのちに海上自衛隊の沿岸護衛艦、あぶくま型の筆頭艦「あぶくま」、4番艦「せんだい」として受け継がれた。
史実
史実でも数々の艦隊旗艦を歴任した軽巡であると同時に、ちょっと不幸な軽巡洋艦でもある。
まず完成を目前にしていたところに関東大震災が起こり、造船所の施設が被害を受けたため、完成は1年以上遅延し、就役は1925年5月26日。
しかも大演習中に軽巡洋艦「北上」に突っ込んでしまい、艦首を大破。
続くキスカ島撤退作戦では島風や響を率いて行ったものの、霧が異様に濃いく、見張り員が島の影を敵艦と誤認し、右魚雷戦の号令で魚雷4本を発射。皮肉にも見事に全弾命中したそうである。これによる損失額は現代でいうところの20億円相当であるなどなかなかに笑えない。
このように何かと不幸なのが阿武隈という軽巡洋艦であった。
しかし、北上との追突事故では修復ついでに長良型で唯一、艦首形状をダブル・カーベチュア型(ダブル・カーブ型)事ダブルカーブド・バウ形状に変更するなど怪我の巧妙もあった。一般的にはこの艦首形状変更で航洋能力が向上したと言われている(神通や那珂も同様)が、凌波性が向上したものの従来のスプーン型バウからの航洋能力の向上はそれ程無く、どちらかと言えば艦首波が前甲板上に被り前甲板に搭載した砲が使えなくなるのを防ぐ位しか効果が無かったと言う説も有る。
なにより心温まるエピソードが、撤退作戦で陸軍部隊を無事に収容した後、阿武隈主計科では炊飯を行い塩おにぎりを配った。撤収部隊は、敵に発見されないように煙があがる炊飯は禁止されていた為にカンパンを配るはずであったが、「苦労した味方にカンパンでは主計科の恥」との心意気で実現したおにぎりである。その時の陸軍兵士たちは終戦後に感慨深く「うまかった」と回想していたという。
その最後は第5艦隊の遊撃部隊(21戦隊1水戦)としてレイテ沖海戦に参加し、スリガオ海峡海戦において敵魚雷艇群の攻撃を受け中破。指揮系統を霞に移譲し、潮を伴い戦線を離脱。その後も航空機による執拗な攻撃にさらされ、ついにB-24爆撃機30機の攻撃を受け撃沈。
生存者はなんとか米軍機の攻撃を回避した駆逐艦「潮」に救助され、全員マニラへ送り届けられたとのことだが、この時生き残った乗員の多くも、その後のマニラの戦いで戦死してしまう。
戦後、1989年にあぶくま型乙型護衛艦(DE)として「あぶくま」の名が受けつがれた。(全6隻、現役)
姉妹艦:「じんつう」「おおよど」「せんだい」「ちくま」「[[とね>とね(護衛艦)」
(「じんつう」「せんだい」は川内型軽巡洋艦、「おおよど」は軽巡洋艦「大淀」、「ちくま」「とね」は利根型重巡洋艦から採られた。川内型・利根型共に姉妹関係が逆転している。)