図鑑データ
「古鷹と言います。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。」
概要、出撃します!
日本重巡洋艦の始祖とも言える古鷹型重巡洋艦の長女。
妹に重巡洋艦娘の加古がいる。とはいうものの、史実では起工(開発)は加古が先で、竣工(完成)は古鷹が先という複雑な関係のため、一概にどちらが姉とは断言できない。
重巡としての性能は低めであるが、本艦はクエスト「三川艦隊」「新三川艦隊」「第六戦隊」に含まれるため、クエストを消化するなら2-3をクリアできる程度に育成する必要がある。
ドロップ海域は1-3ボスを皮切りに1-4および2-x全般。3-xではドロップしないが、4-xの方では全般的にドロップが見られるなど比較的手に入れやすい方。また、建造でもポロリと出る場合がある。
これなら容姿もバッチリです。
茶色のボブヘアーに金色の瞳が特徴。
服装は白とスカイブルーのへそ出しセーラー服にパンチラしそうなミニスカートと一見ギャルっぽい服装。
顔立ちそのものは重巡洋艦娘の中では幼さが残るが、光っているような左目、火傷痕のような顔の影など、艦娘の中でも非常に特徴的な容貌をしている。
これについては諸説あるが、特に左目に関しては下記のような史実での経験に関連性を見出そうとするファンもいる。
- サボ島沖海戦で青葉を守って戦った際に探照灯を灯し、左舷砲雷撃戦を行ったため(公式Webコミックでも左目からサーチライトを照射する描写がある)
- その際、敵の攻撃で火災を起こしたので火傷痕のようになっている
だが、火傷痕のように見える箇所については担当イラストレーターのUGUME氏曰く「影です」とのこと。
ただ、UGUME氏自身も上記のような諸説自体は否定しておらず、「提督さんの数だけ古鷹がいる」と語っているので、解釈は自由である。
公式4コマでも度々左目を探照灯代わりに光らせているのだが、その分燃料を多く消費するもよう。
また、艤装は加古と似て、艦娘としては珍しく体に纏うように装備するタイプ。
電探の付いた基部を背負い、右腕が鎧のような装甲で覆われており、右肩と右腕に連装砲を一基づつ装備。更に左肩越しに可動式台座が出張っており、その上に煙突と連装砲を一基づつ装備している。
両足には箱のような主機を履き、左脚には鎧ともギブスとも見える艤装を装備し、そこに四連装魚雷管を2基装備している。
メカ部分を強調するようなポーズ・アングルとなっており、前述の左目と合わせてサイボーグ疑惑を抱く提督もいるとか。
なお、彼女の設計元になったメロンちゃんと同じく、体系はスレンダー。しかし、ほぼ設計が同じはずの青葉型は何故か発育がいい(特に衣笠は改二実装まで結構はだけていた)。
逆に古鷹よりも明らかに不自由してる方の船体もほぼ同一設計だったりして……
改二
2014年12月1日のアップデートにて改二が実装される。
→古鷹改二
私、性格は得意なんだからっ!
礼儀正しくて、素直に提督の事を慕う、包容力の高いとてもいい娘。
史実でも初めて重巡洋艦としてカテゴライズされた艦であるためか、登場時やMVP時も自分よりも常に重巡洋艦娘たちを引き立てるとても謙虚な娘。秘書艦に設定してもとても真面目で明るく気立ての良い娘であるが、逆に自己主張はかなり乏しい。
「やったね!」「お疲れ様!」などの一言は聞いただけで日々艦隊運営に悩む提督の心を癒してくれる魔法の言葉である。そのため一部提督からは「天使」や「フルタカエル」とも言われている。
その上しっかり者な性格であり、加古の甘え性な性格と相まって「いいお姉ちゃんキャラ」として定着しつつある。
また、川内ほどではないが彼女も相当な夜戦好き(古鷹も実戦は夜戦が主だった)。
被弾時のセリフから察するに、潜水艦に対しては軽いトラウマがあるらしく、これは姉妹艦の加古が潜水艦の雷撃により目の前で沈んだことが原因と思われる。
公式4コマ単行本のおまけ4コマによると、加古と同居の寮の部屋では様々な観賞魚を飼っている事が明かされている。これは下記のように、内火艇の通過に伴う波で舷窓から水が流れ込むため、常に窓を閉めていたことにより、「水族館」という(不名誉な)渾名が付いたことからと思われる。
ちなみに、梅雨の時期は雨が窓を叩く音で落ち着くらしい…
性能狙って、そう…撃てぇー!
重巡洋艦としては最も古い艦であるためか、同カテゴリの中では(加古とともに)最も性能が低い。
当初はそれこそ『軽巡以下』というあんまりな性能だったが、10/16アップデートによる強化で他の重巡との性能差が縮小された。重巡全体の強化もあり、実用に耐える性能となっている。特に夜戦での爆発的な火力はさすが重巡と言える物がある。
更に1/15のアップデートにより、火力が5上昇した。(最高火力は70)
これによって軽巡最高火力である球磨や、長良等の69を上回った事になる。
やったね!
もっとも、古鷹型が建造された頃は重巡洋艦というカテゴリーどころか考え方自体がなく(むしろ後述の通り彼女の存在がその先駆けになったといえる)、艦種も当時日本海軍が主力と考えていた水雷戦隊旗艦の延長線上である「偵察巡洋艦」という運用目的が異なるものだったので、妙高型や高雄型などに比べて火力で劣るのは一概に旧式化ばかりが原因ではない。
また、性能云々はともかくとして史実の海戦における彼女の戦果や活躍は新鋭艦にも引けを取らない。
その他・備考です。お疲れ様。
私達の役割が、たまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。
古鷹型より旧い艦で、ロンドン条約による重巡洋艦(カテゴリーA)に類別された艦はある。
しかし、これらの艦が搭載していた砲は最も旧い英巡洋艦ホーキンス級のために開発されたヴィッカース7.5インチ砲を基準にしていた。
日本流に言うと19センチ砲(厳密には19.05cm)である。
ところが、日本がヤードポンド法でなくメートル法を採用していた自分達の都合でキリよく20サンチ砲を採用してしまったため、ロンドン条約での定義は20cmの近似値である8インチ(20.3cm)になったのである。
これにより英米も慌てて8インチ搭載重巡の建造に乗り出すことになった。
つまりずばり重巡洋艦を定義したのは古鷹であり、鳳翔が全ての空母の母ならば、古鷹はさしづめ全ての重巡の姉と言える。
彼女の重巡アゲ発言はここに起因しているのだろう。
最も、かつて同じように8インチ砲を積み、その性質や成り立ちがきわめて近い装甲巡洋艦がいたため、古鷹型の生まれはある意味当然と言えば当然の帰結である。
なお、軍縮条約に参加しなかったドイツとソ連では、ドイツでは開発に制約がかけられていたこと、ソ連ではロシア革命の余波による国産技術の低下から、部品・弾薬供給のためヴィッカース7.5インチ砲の採用が続いた。
そして、ドイツはヒトラーの再軍備宣言後、重巡洋艦サイズに28センチ砲を搭載したポケット戦艦ドイッチュラントの建造と保有を発表する(ドイッチュラント級11,700トン、妙高型13,000トン)。
プリンツ・オイゲン曰く「日本の重巡も充実している」とのことだが、ドイツ唯一の純粋な重巡であるアドミラル・ヒッパー級が僅か4隻しかなかったことを考えると、その差は本家と余所という程度の差では済まされない。
最も、当時ドイツは軍縮に参加するどころか再軍備すら厳しかったので日米英の様に純粋な重巡を作る必要はないのだが…(ぶっちゃけ改ドイッチェランド級量産した方がいいんじゃとかいうのは禁止)
三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます。
姉妹。ソロモン沖海戦の帰途、古鷹の目の前で魚雷によって沈んだ。古鷹のお姉ちゃんキャラに惑わされがちだが、起工は加古が先であり(就役は古鷹が先)初期は加古型巡洋艦であった。
サボ島沖海戦にて彼女を護る形で集中攻撃を受け、古鷹は没している。古鷹型の設計を元にしているので、準同型或いは同型艦として明記されることが多い。
上記のエピソードが有名であるためか、彼女とセットのイラストは比較的多い。
加古、青葉と共に、同じ戦隊で戦った仲間であり、青葉の姉妹艦。『艦これ』では2013年7月24日のアップデートで登録ユーザー20万人突破記念として実装。あまり触りすぎると逆セクハラをしかけてくるので注意。
三川艦隊の僚艦。『艦これ』では上記3人とこの2人で新三川艦隊となり、編成、出撃クエストも用意されている。また、古鷹改修時には「三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます!」という微笑ましい台詞も。
夕張を拡大・改良する形で古鷹型は完成した。
古鷹と同じく、サボ島沖海戦にて轟沈。吹雪は敵艦隊からの照射を受け集中砲火を浴び、叢雲は古鷹の救援の際に空襲を受け、航行不能となり雷撃処分された。
時報では、それぞれ古鷹と会話している様子があり、特に吹雪とはそれなりに仲のいい先輩後輩関係にあるらしく、赤城とはまた別ベクトルで慕っている節がある。叢雲は会話量こそ少ないが、古鷹が元気なのを見て安心している様子が見て取れる。
左舷、関連イラスト、用意!
提督に関連タグがあるようですよ。
史実の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね…
日本初の重巡洋艦として1925年2月25日に進水。
旧日本海軍の古鷹型重巡洋艦の1番艦。
艦名は江田島の海軍兵学校そばにある古鷹山に由来する。
ワシントン海軍軍縮条約下において限界ギリギリの小排水量と重武装を両立させ、かつ良好な航行性能を確保した高性能艦。
古鷹型の存在が、後のロンドン海軍軍縮会議にて「重巡洋艦」というカテゴリーを生むきっかけとなった。
ただし、居住性が犠牲になってしまったため、同型の加古共々、小型艇が通る度に乾舷の小窓から水が入るため他艦からは「水族館」と言う不名誉なあだ名を頂戴していた。
ちなみに居住性は次級の青葉型でも改善されておらず(とゆーか主砲ターレット以外は古鷹型まんまなのだから当然だが)、従軍作家として乗り組んだ海野十三氏もそのことに関して言及している。
竣工時は20cm単装砲塔6基を搭載していたが、近代化改修により20.3cm連装砲三基に変更され、魚雷も白露型駆逐艦以降に採用された四連装魚雷発射管と九三式酸素魚雷となり、次発装填装置も搭載された。
1942年8月、ソロモン沖海戦では敵4隻を撃沈する戦果をあげたが、その帰路で潜水艦による雷撃で姉妹艦の加古を失っている。
1942年10月、サボ島沖海戦では、敵味方を誤認した青葉を護る形で敵の集中攻撃を受け、航行不能に陥る。戦闘終了まで耐えたが、遂に沈没した。
その後も、生存者が捕虜収容所で反乱事件(フェザーストン事件)に遭遇するなど、逸話の多い艦である。