国鉄 14系客車
国鉄が1971年より新製・投入した客車。それまでの旧型客車とは一線を画した20系客車は夜行特急の体質改善に大きな貢献を果たしたが、その一方で電源車から編成全体へサービス電源を供給する集中電源方式は、多層建て列車等の場合はそれぞれに電源車を用意する必要があるなど、運用上の問題も生じていた。またB寝台の寝台幅52cmは日本人の体格向上などもあって窮屈なものとなり、こちらも改善が必要だった。そこで12系で採用した、床下にディーゼル発電機を搭載して数両分のサービス電源を供給する分散電源方式を採用した。
座席車と寝台車がある。車体形状がほぼ同一だった20系客車と違い、座席車と寝台車は見た目で区別できるほど違っており、基本的にそれぞれ独立した編成を組み、一部を除いて併結運用されることはなかった。但しサービス電源・ブレーキシステムは両方の14系のみならず12系とも共通しており、これらの間については混結も可能である。
寝台車
優等車であるA寝台・一般車であるB寝台の両方を製造。用途柄、食堂車もこちらの仕様になっている。
途中で分割・併合を行う列車での運用の便を図るためサービス用電源を緩急車に搭載したディーゼルエンジンで賄うようにしたことが特徴。寝台車についてはそれまでより幅が広い(70cm)ベッドとした。
20系の52cm幅からの拡大分の原資は、車体長の800mmの延長(20,000mm→20,800mm)と寝台区画の1減(三段寝台で定員54→48)による。
また寝台のセット・撤去の省力化を企図し、B寝台で三段のうち中段を、A寝台では上段をモーター駆動で上下させる方式とした。この上下動する段の寝台にはワイパーのように並行運動するリンクを仕込み、モーター自体は下段の下に組み込まれていた。
はしごはこれまで着脱式で、戦前の三等寝台の流れを汲む10系では折り畳んだ中段(背ずり)の下にしまいこんでいたが、20系では中段を上へ畳んでいたため別保管となっていた。
14系の構造となるといよいよ保管場所がなくなり、B寝台では窓際にアルミ製はしごを固定してしまい、昼間はM字型の三つ折りに畳んで一本の棒にした。広げている時は田の字が連続する形状になる。
一方、設計当初は着脱・保管場所をどうするかが懸案になりながら、その必要がないと判明したのが就寝用の遮光カーテンで、上段はそのまま、中段は寝具その他と一緒に中に押し込む格好で上昇させ格納、下段は中段にぶら下げたままタッセルで縛るだけ。これは中段が上下方向に平行移動する形であること、万が一の中段利用客の圧死防止のために上昇(格納)後も適当な隙間をあえて作ってある構造が幸いしている。
翌1972年の末に発生した北陸トンネル列車火災事故により、床下ディーゼル発電機の安全性の問題が懸念されたことから増備が打ち切られ。基本的な車体構造自体は同じながら集中電源方式に変更した24系が代わりに製作された。
1978年には寝台車のみ防火対策・二段ベッド化を中心とした改良を行った15形が登場した。在来車も同時期以降に2段寝台化と防火対策(自動消火装置などの取り付け)が行われており、改造中の車両不足(スハネフ14)には座席車を電源代用で連結し通路扱いとしていたことがある。
後年、オリジナルである14系(14形式)のB寝台車も15型に合わせた二段ベッド化改造を受け、ごく一部の例外を除いて二段寝台となる。
三段時代のモーターも最終的に省かれ、上段は構造的に単なる板となった。
食堂車は用途上一緒に使われる寝台車の車体断面に揃えられている。
長さが既存車両で最長のグループとなり、長くなった分で冷蔵庫の大容量化が図られた。
一方内装デザインはえらくそっけないものとなった。椅子はほぼ駅のプラ製ベンチで、およそ特急など優等列車に使うものとは思えないレベルに退化した。
座席車
臨時、団体用の波動用客車として製造した12系は、固定クロスシート(ボックスシート)で急行での運用を想定したものだったが、特急としての運用も想定した波動用客車も必要(実際12系を使用した臨時特急も運転されたことがある)ということで製造されたのが14系座席車である。
寝台車と異なり、普通車のみを製造している。
車体は印象が485系や183系といった電車のそれにかなり似ている。
但し実際には全く違う車体断面となっており、車体幅は骨組み基準で2,900mm(上述の電車は2946mm)。電車は上部が内傾しているのに対し、14系座席車はそのまま直立する。
12系客車の車体を窓框あたりから上で100mm切り詰めて冷房の冬季カバーをつけられるようにした、といったほうが近い。
183系と製造時期が近いため、同じような簡易リクライニングシートを取り付けている。
登場当初より寝台車は寝台特急用として活躍したが、座席車の登場当時には既に昼行特急のすべてと急行のほとんどが電車、気動車で運用されており、また20系登場当初は座席車も連結されていた夜行特急も全車寝台化が行われたことから、登場当初はもっぱら波動、臨時特急、急行用として使われた。
昭和50年に初めて急行用として座席車が定期運用で使われるようになったものの(ちなみに定期特急用として使われるようになったのはJR化以降の話である)、それでも繁盛期を除けばほとんどが車庫で待機という状態で、国鉄末期には12系と共にサロンエクスプレス東京などのジョイフルトレインの種車として使われた。
500番台
北海道の急行列車でそれまで用いられていた旧型客車を置き換える目的で登場した番台区分。
暖房能力の強化や暖房用蒸気の引き通し管の設置、客用扉の引戸化など道内での運用に適した改造がされた。
ブレーキシューも本州用のレジン製では気候上不適ということで、旧型客車などと同様の鋳鉄製のものに置き換えられた。結果最高速度が95km/hに引き下げられたため、㋭のマークが添付された(後年寒地用特殊鋳鉄制輪子が開発され、110km/h運転可能に戻る)。
当初は道内の客車急行列車(ニセコや天北)、まりものグレードアップのために投入された。
その後、JR北海道では一部北斗星向けに24系に改造された車両があったが、寝台車はキハ183系などと併結する形の夜行列車に使用されるなど、独自の動きを見せていたが、それらも2000年代後半には臨時化、のちに廃止された。
最後まで残っていたのは急行はまなすで用いられていた車両群で、2016年に廃止されたことでJR線上からは姿を消した。
JR化以降は老朽化や寝台列車の需要低下、波動用車両の電車・気動車化などのため徐々に運用から外れており、最後まで使用されていた急行はまなすが2016年3月に北海道新幹線開通にともなって廃止されると定期運用を持つ14系は座席車・寝台車ともに消滅し、JRグループに車籍が残っているのはイベント列車用、保留車、サロンカーなにわのみとなっている。
廃車された車両の一部が東南アジアに輸出されている他、JR四国から東武鉄道へSL列車の運行用に譲渡された他、JR北海道から大井川鐵道へも500番台座席車がこちらもSL列車用に譲渡されている。