概要
2011年まで北海道虻田郡洞爺湖町に所在した競走馬の生産牧場。
競走馬を自身で生産してその馬主になるオーナーブリーダー(馬主兼生産者)としては日本屈指の存在であり、メジロの名を冠した数々の名馬を生み出した。
1967年に建設会社・北野組社長で馬主の北野豊吉が北海道伊達市の高橋農場から敷地の一部を譲り受けて創設されたのがその始まり。「メジロ」の名は、北野の居住地であった東京都豊島区目白にちなんだもの。
1971年に洞爺湖町に分場が開設されたが、2003年から分場が本場となった。
メジロオー、メジロタイヨウ、メジロムサシ、メジロイーグル、メジロアサマ⇒メジロティターン⇒メジロマックイーンの親子3代天皇賞制覇、メジロファントム、メジロデュレン、メジロラモーヌ、メジロアルダン、メジロパーマー、メジロライアンなど数々の活躍馬を送り出したが、マックイーン・パーマー・ライアンの3頭が引退後、数年間は自家生産馬やステイヤーへの拘りがすぎたため経営不振にも陥った。
それを一時的に救ったのがメジロライアン産駒のメジロブライトとメジロドーベルだった。ステイヤーや自家生産馬への拘りもやめ輸入種牡馬へも方針転換し、メジロベイリー・メジロダーリングなども輩出したが、2002年以降はまた次第に成績が落ちていってしまう。
2006年からは重賞勝利からも遠ざかってしまい、最終的に競走馬の賞金を基にした経営が成り立たなくなってしまったことから、2011年4月に競馬界からの撤退を発表。
そして同年5月20日、メジロ牧場は閉場・解散し、約40年以上の歴史に終止符を打った。
設備と繋養馬は、メジロ牧場で専務取締役を務めていた岩崎伸道がノーザンファームの支援の下創設したレイクヴィラファームに引き継がれた。
レイクヴィラファームはオーナーブリーダーとして知られたメジロ牧場と異なり生産専門牧場(マーケットブリーダー)であるが、2014年にはメジロドーベルの孫にあたるショウナンラグーンが青葉賞を勝利して生産馬初の重賞馬となった後はコウソクストレート、トリオンフといった重賞馬を輩出。2019年にはメジロラモーヌとメジロライアンの血を引くグローリーヴェイズが香港ヴァーズを制して生産馬初のGⅠ馬に輝いた。
メジロの名こそ消えてしまったが、メジロ牧場の血はこれからも引き継がれていくことだろう。
生産馬の特徴・火山被害・勝負服
生産馬の特徴として天皇賞制覇に強いこだわりを持っていた創設者の方針からステイヤー指向の生産が行われ、障害競走に強い馬も生産していた。
洞爺湖町の分場→本場は活火山の有珠山に近く、創設以来2回噴火被害に遭っている。1977年の噴火で火山灰が牧場敷地内に数十cm積もり、2000年の噴火では繋養馬を他の牧場に避難させている。
それでも洞爺に本場を置いていたのは、火山灰性の土地ゆえに牧草に豊富なミネラルが含まれているという点と巨額の設備投資費を注いだ牧場を捨てての移転が困難である点が挙げられている。
メジロ牧場の勝負服は「白・緑一本輪・緑縦縞袖」(左イラスト奥)。また、関連会社「メジロ商事」(東京都豊島区目白)名義で馬主登録を行う場合もあり、その場合は「白・緑一本輪・緑袖」とわずかに勝負服が異なる(右イラスト)。
馬主の名義
メジロの馬主の名義は北野豊吉、北野ミヤ、メジロ牧場、メジロ商事の4種類がある。
豊吉・ミヤの個人名義はメジロ牧場設立前の個人馬主時代のものだが、牧場と商事の使い分けについては以下の法則があるとされる。
- メジロ牧場で生産されたらメジロ牧場名義
- 奥平真治厩舎に預託する場合はメジロ牧場以外で生産されてもメジロ牧場名義
- メジロ牧場以外で生産された馬はメジロ商事名義
主な生産馬・所有馬
※GⅠ級競走勝ち馬、および個別記事の存在する馬を記載。
※別の牧場で出産が行われた後メジロ商事名義で所有した馬は「商」、オーナー北野家個人名義の馬は「北」で示す。
1975年生:メジロファントム 北(東京新聞杯・目黒記念)
1978年生:メジロティターン(天皇賞秋)
1983年生:メジロラモーヌ(1986年初代牝馬三冠達成、顕彰馬)
1987年生:メジロマックイーン商(菊花賞・天皇賞春2連覇・宝塚記念)
1987年生:メジロパーマー(宝塚記念・有馬記念)
1987年生:メジロライアン(宝塚記念)
1993年生:メジロファラオ(中山グランドジャンプ)
1994年生:メジロドーベル(阪神3歳牝馬S・優駿牝馬・秋華賞・エ女王杯2連覇)
1994年生:メジロブライト(天皇賞春)