概要
漫画『キングダム』において秦軍が魏国の要所著雍(ちょよう)に侵攻するストーリー。
秦軍は次代の将軍である信・王賁・蒙恬の躍進、魏軍も呉鳳明の台頭といった世代交代がテーマとなっている。
史実にはない戦いだが、一応は作中で重要な役割を果たしている(ネタバレになるため詳しくは後述)。
アニメでは第4シリーズの第6話から第12話に相当。
ちなみに本ストーリーの名称は、公式では「著雍攻略戦」となっているが、本記事及びWikipediaでは「著雍攻略編」として扱っている。
以下はネタバレになります。閲覧には十分注意してください。
著雍侵攻
合従軍の侵攻により秦国にとって魏・趙侵攻の要所となる著雍(ちょよう)が魏国に取られたため、著雍を奪還すべく騰は奮戦していたが、著雍の本陣に呉鳳明が入ったことで、騰は飛信隊と玉鳳隊に増援を要請した。
お互いに戦力が増強されたものの、特に魏が増やした謎の三軍が強力な上、著雍の土地自体も局所的な攻撃に対して周りの援軍が行えるような場所であり、攻略自体が難しい。
このため騰は、著雍に近く、秦趙の国境にいる王翦に助力を要請しようとするが、王賁はこれを拒否した。
というのも王翦が布陣している場所も要所であるし、王賁にはこの地形においても対策があると言った。
その対策とは飛信隊・玉鳳隊・録嗚未軍の三隊で三か所を同時に攻撃し援軍を送れなくしつつ、三日後の同時刻に三隊で本陣を強襲するものだった。
しかし開戦後に判明した謎の三軍は、十四年前に全員他界したはずの魏火龍七師だった……。
以下は飛信隊・玉鳳隊・録嗚未軍を分けて記載する。
なお、主攻では騰軍は三日間、作戦を悟られないように魏火龍の一人・霊凰(れいおう)をけん制していただけである。
録嗚未軍の活躍
騰軍の隣で魏軍を攻撃していた録嗚未軍は、実は二日目時点の三隊で、最も攻撃が遅れている隊であった。
これは霊凰軍の攻撃から騰軍を守るためという側面もあったが、こちらは魏火龍のような強力な武将が居なかったことで、結果的に三日目の奇襲に成功している。
もっとも、録嗚未曰く「日にちごとにちまちま計算して戦うのは性に合わん。俺の軍は走り出せば走り出せば止まることはない」(=余裕で勝てる)とのことだったが。
三日目、玉鳳隊に続いて呉鳳明本陣に到着し、玉鳳隊とともに本陣の軍の露払いを行なった。
録嗚未が言うように、ただ勝つだけなら騰が総大将として徹頭徹尾動けば良い。
だが騰にとって著雍の戦いは、合従軍によって新たに登場した傑物である呉鳳明と自身との対決にするよりは、中華統一を行うために必要な武威を示すため、才覚ある武将が呉鳳明に挑み、力と名を中華に響かせる戦いと見ている。
そしてこの騰の考えにより呉鳳明は作戦を見誤り、結果的に勝利している。
飛信隊の攻防
初日、開戦早々から魏火龍の一人・凱孟(がいもう)が信と一騎打ちを申し出た。
信もこれに応じるが、飛信隊の優勢を阻止すべく凱孟軍軍師荀早(じゅんそう)が河了貂を生け捕りにした。
貂は羌瘣に助けを求めたが、羌瘣は荀早を生け捕りにするのが精一杯だった。
その夜、檻の中で貂は魏兵に暴力にさらされながらも、凱孟は貂に「女である貂が戦場にいるのはおかしい。お前にとって信とは何者だ。その返答次第で殺すか(飛信隊に)返すかを決めてやる」と言った。
貂は「信の夢がかなってほしいと思ってる。オレも戦場で戦ってあいつと一緒に幸せになりたいんだ」と答えた。
対して飛信隊は荀早との人質交換を画策。
翌朝、これ以上の暴力などを行われず人質交換が成立し、二日目は敵の前線を破り、初日の遅れを取り戻した。
三日目、飛信隊は信を囮にし凱孟と一騎打ちさせることで、羌瘣隊を呉鳳明本陣に向かわせる策を取った。
しかし、信が率いる軍は僅か二千に対し、凱孟軍は一万三千と圧倒的不利な状況に立たされる。
だが、二日目の夜に山を越えた隣の戦場にいた騰軍将軍・隆国に助力を要請し、隆国の援軍が来たことで形勢が逆転し、凱孟軍が撤退。
残った飛信隊もまた呉鳳明本陣に向かうこととなり、最後に辿り着いて呉鳳明を討ち取るかと思われたが……?
王賁対紫伯
玉鳳隊は初日に前線を押し込み、早くも奥の予備隊に迫ろうとしていた。
しかしこちらには魏火龍の一人であり、呉鳳明曰く「魏史上で最強の槍使い」とされる紫伯(しはく)が居る軍だった。
二日目、魏お得意の装甲戦車隊を左翼に放ち、王賁は中央の騎馬隊で救援に向かったが、実は装甲戦車隊は囮であり、紫伯軍が玉鳳隊の中央を攻撃してきたのだ。
王賁は紫伯を討つために攻撃しようとするが、最近王翦軍から加入した関常(かんじょう)は離脱できなくなる上父・王翦はそんな危ない手は打たないと否定する。
王賁は私情は持ち込まないと構わず紫伯に挑むが、討つどころか負傷し、(明日討つためという理由もあるが)自らが殿(しんがり)を買って出て離脱することとなった。
三日目、こちらも関常が紫伯との一騎打ちを止めようとするが、ここで王賁の真意が明かされる。
蒙驁や張唐などの普通の大将軍になるだけであれば、ただ生き延びて凡戦を勝ち続ければ良いだろう。
だが、王賁が目指すのは中華に名を刻む大将軍である。
そのためには後退という道はなく、リスクを覆して得る勝利こそが自身の名声を挙げるものとして考えているためだった。
また、この勝ち方こそが王翦から連なる「王」家の後継ぎとしての責務としても考えているようだ。
そして王賁は幼少から並々ならぬ修練を行なってきたことで体得した槍術により紫伯の槍を「型」にはめ込んで対応し始めたことで、紫伯に攻撃が届くようになり、ついに紫伯を討ち取った。
これにより王賁は呉鳳明のいる本陣に向かい、最初に辿り着いたのだった。
顛末
羌瘣が本陣に辿り着き呉鳳明の首を斬ったように思えたが、斬ったのは偽者だった。
本陣に火を放ち秦軍の勝利はほぼ決まったものの、肝心の呉鳳明の姿が見当たらなかった。
だが、遅れて本陣にやって来た信は、本陣の奥に見える砂煙を見逃さず、その跡を追っていた。
騰軍と対峙していた霊凰だったが、本陣の狼煙を確認すると呉鳳明と合流し、騰を攻撃して逆転しようと画策。
しかし信が追いつき矛が呉鳳明と霊凰を襲うも、何と呉鳳明は「鳳明様お逃げをっ」と言い、信の矛を霊凰に向けさせた。
つまり呉鳳明は師である霊凰を盾にして逃げたのだ。
そして呉鳳明は魏軍全体を撤退させ、秦軍の勝利が確定し、著雍を奪い取ることができたのだった。
戦後、著雍には一年をかけて塁を張り巡らせ大要塞を築くこととなった。
これは即ち昌平君が考えた魏国を徹底的に弱体化させる策であり、以前に奪取した山陽とここを足掛かりにして侵攻を行うことで、長期的には魏を滅ぼし戦国七雄の均衡が崩れることになるのだ。
だが、終戦から二か月後に著雍に再び問題が起きる。
太后(後宮勢力)が山陽・著雍一帯に金を落とすため、上層部を後宮勢力で固め、山陽の長官を嫪毐(ろうあい)に替えると言うのだった。
著雍の意義
この戦いは史実に存在しない戦いだが、翌年の紀元前238年には史実通りに飛信隊が垣と蒲陽を攻撃している。
史実通りに進めるならこの戦いを描く必要はないように思えるが、あえてこの戦いを描く理由を挙げるとしたら、上記の世代交代、作中の地図上の事情と、次の話である毐国反乱編が大きく関係しているためと思われる。
作中の毐国を建国した太原(たいげん)は屯留(とんりゅう)の北に位置し、著雍は屯留の南、函谷関・山陽・屯留に囲まれた地域である。
著雍の戦いの意義として、函谷関防衛によって秦国は領土を一部放棄した状態となったため、それを取り返すための戦いが必要だったものと思われる。
というのも史実では秦は函谷関の戦い自体が大した苦戦もなく圧勝していたことから、本作のような苦戦を描いた以上は領土についても苦戦を描く必要があったのである。
また、著雍勝利後、後宮勢力は著雍に資金を提供した代わりに、著雍に留まっていた飛信隊も含めた兵を太原に送り出し、毐国建国を宣言。
しかし国家として成長する一方で毐国に所属する人間の中には楚など他国の人物も紛れており、秦と毐国による相打ちによって得をする構図にもなっていたことで、秦国への反乱を企てる動きが活発化していた。
そして飛信隊は垣と蒲陽を攻撃し城を落としたが、次の侵攻先を知らせる文章と見せかけた、毐国の反乱を伝える暗号文を昌平君は送っており、河了貂が解読している。
昌平君の離反について読者側が見て解り易いのは、この暗号文だけである(作中の描写から毐国の動向を昌平君が探ろうとしている辺りも離反の伏線ではあるが、初見の読者ではわかりづらい)。
この暗号文を成立させるためには、大王勢力である飛信隊が援軍として戦える状況にあること(例えば咸陽に飛信隊がいるなら口頭で話す方が筋が通るため監視の目を掻い潜るための暗号文を送るという手段を取りづらく、かと言って咸陽から遠すぎると呂不韋一派などの妨害も考慮に入れると援軍として加勢するのが難しくなる)、暗号文を解読できる人物である河了貂が必要である。
昌平君にとっては毐国の反乱はイレギュラーな事態だったとしても加冠の儀で呂不韋が何かを起こすことは容易に察しがついており、どちらにしても大王勢力である飛信隊を咸陽付近まで早く戻せる位置に調整した可能性が考えられる。
今回の戦いで作中で位置づけられたテーマは世代交代にあるが、そもそも秦国統一編自体が世代交代をメインテーマに扱っている節がある。
著雍は最たる例ではあるが、今までの戦いにおいても秦・魏・趙で亡くなった武将の大半に若い武将はほぼ居らず、いずれも何らかの武功を挙げて将軍以上になった人物ばかりである。
山陽でも語られたように六大将軍や三大天・魏火龍などが活躍していた時代は既に終わっており、それを覆す新たな時代が始まろうとしているが、騰が語るように戦国七雄の各国は今回の戦いを「新たな武将」である呉鳳明と騰が直接対決するこの戦いに注目していた。
ところが騰の実際の思惑と結果は、秦のさらに若い世代が名乗り上げるようにするための戦いであった一方、魏も(作中では言及されていないが上記の結果として)呉鳳明の敗北により次世代の育成ができていない問題が浮き彫りとなった。
また、他の五国も将軍を立てることはできても武威を示すに至る若い世代が用意できておらず、世代交代ができている国とそうでない国とで扱いの差が大きいことが改めて認知されたと思われる(単に史実における有名な武将が少ないだけと言われればそれまでだが)。
ここで各国の事情を具体的に掘り下げておく。
秦国では王騎、張唐、麃公、蒙驁といった名だたる大将軍が相次いで亡くなっており、次の世代を担う将軍のアピールが必要だったと騰は語っている。
信(李信)と王賁(と今回の戦いでは不在の蒙恬も含めて)史実では特に有名な次世代の武将であるため、彼らの名前を中華全土にアピールする機会がなければ史実通りの名声は難しいと騰は考えたのかもしれない。
この直後に秦国では毐国の反乱という「政治関係のしがらみの総決算」と言える話がなされており、以降の秦国は嬴政を中心に一丸となって困難に向かう展開となる。
しかし他の国となると世代交代が苦しい様相が見えてしまう。
魏は魏火龍という古株を掘り起こしているが、既に呉慶が、今回の戦いで霊凰と紫伯も戦死し、残るは凱孟のみとなった。
呉慶の息子・呉鳳明は史実でも有名、かつ作中の函谷関の戦いで既に名前が知られる大将軍であり、著雍以降は軍事面での実権を握るに至ったが、呉鳳明より後の将軍は作中で見られないために、自らを新魏火龍として名乗らざるを得なくなったのである。
李牧により劇辛を討たれた燕は史実通りにいくと著名な将軍が不在(=世代交代ができない)のためオルド(キングダム)を出す羽目になっている。
韓は、史実では紀元前238年に桓恵王が死去し子の韓王安が即位したが、桓恵王自体が本作には一切登場していない他、韓王安も出番は少ない。
また、合従軍編で成恢が戦死したことで洛亜完が韓を代表する大将軍に落ち着いているものの、情報戦がメインで戦争を行わないように立ち回っているためか後発の武将は乏しい。
肥下の戦いの時点で、史実と本作に共通して所属し名前の知られている楚の将軍は廉頗と項燕くらい。
楚の将来を担う媧燐、項翼・白麗は本作オリジナルだが、次世代の将軍が擁立できている分、秦にとって最も警戒すべき国であることは容易に想像ができるだろう。
李牧率いる趙も多数の将軍が登場しているものの、そのほぼ全てが本作オリジナルの人物である上、ことごとく秦軍に倒されているため、人材確保がままならない状況となっている。
斉は作中で姿を見せているのが王建王しか居ない時点でお察しである。
このように著雍の戦いは軍事・政治的にも重要な描かれ方をしていると言える。