東方寿命問題
とうほうじゅみょうもんだい
読まれる前に。(ご注意)
この記事には、東方Projectに登場するキャラクター達についての「寿命」に関わる記述があります。東方Projectの登場キャラクターにまつわる寿命の長さの違いやそれによる別離(別れ)などについて記事にしています。
したがって、キャラクターの「死」についても書かれています。
作品やキャラクターを愛する方の中には、この記事の内容を辛いと感じる箇所もあるかもしれません。
読まれる際は、注意してください。
もしもそういった内容のものを読まれることを望まれない場合は、ここから先は読まずにこの記事から移動してください。
また本記事でとりあげることは東方Project本編の設定を元に創作された作品の中から生まれたもので、「東方寿命問題」という語を含め、原作では必ずしもそれぞれの物語のメインテーマとなっているものではありません。
東方寿命問題
「死ぬまで借りるだけ」
東方Projectの主人公の一人である霧雨魔理沙(人間)が、物を堂々と盗んでいくときに発する台詞である。
『東方文花帖』では、「どうせあんたら(注:後述の妖怪などを指す)の人生に比べれば私らの方が圧倒的に短いんだから、全部私の死後に回収すればいいだろう?」(括弧部は追記)と発言しており、この言葉には東方寿命問題の一端を見ることができる。
東方Projectにおける妖怪とは、『東方求聞史紀』において厳密な定義ではないがいくつかの特徴でまとめられている。この内本記事で重要となる点は、人間よりも長命で強靭な肉体を持ち、治癒能力も高いという特徴である。
先ような台詞とともに魔理沙が盗んだものの持ち主はアリス・マーガトロイド、パチュリー・ノーレッジ、森近霖之助などが主であり、いずれも魔理沙などの人間より長命な種族
(アリス、パチュリーは魔法使い、霖之助は人間と妖怪のハーフ)である。
※ただし、『東方鈴奈庵』においても魔理沙は「鈴奈庵」(人間の里にある、人間が経営する貸本屋)にて同種の発言をしているため、必ずしも相手が長命な種族と見越しての発言に限定されるものでもないようである。
人間と妖怪の両者は生きられる時間の長さに加えその時間感覚も異なっており、先の文花帖の場面に延長する射命丸文(妖怪、天狗)との対話では以下のようなやり取りが見られる。
(文の書いた新聞記事について)
魔理沙:「(前略)この記事は一体いつの話だよ」
文 :「紅霧の異変の時ですから……たったの20年前位? 12年だったかしら?」
魔理沙:「2年前だぜ。速い体内時計の持ち主だ。」
さらにこの対話の最後でも、記事に使われた写真を気に入った魔理沙がその写真について
「借りるだけだ。私が死ぬまで」と先述同様の趣旨の台詞とともに拝借していこうとしている。
また、東方Projectには人間以外の存在として妖怪の他に妖精や前述の魔法使い、亡霊などといった多様な種族が登場するが、いずれも人間よりも寿命が長かったり致死規模の損害を受けてもすぐに再生するなど、生死の巡り方ががまるで異なっている。
その他の種族から見れば極端に短命である人間は、生まれたままの在り方ではどうあっても他の種族と同規模の時間を生きることができず、得てして先に天命を迎えなければならないという宿命にある。
両者の種族的性質によって発生するこの寿命差こそ、「東方寿命問題」の根幹である。
種族による寿命の多寡と問題の在り処、及びそれを扱った二次創作作品の傾向
妖怪にも多様な種類があるが、大抵の妖怪の寿命というものは短くて数百年、長ければ数万年にも亘る。仮にレミリアの肉体年齢を10歳とすると、500生きている吸血鬼の1年とは人間の1週間程度に相当する(生物学の『ゾウの時間ネズミの時間』などが詳しい)。
また妖精は「短命であるがすぐにその個体として」再生するため、「実質死ぬことはない」(『東方求聞史紀』)。
先述のように人間とは生命のリズムのあり方そのものが異なるものが多く、問題が複雑になっている。
東方Projectの二次創作などでは、この寿命の違いも作品テーマとして用いられる。
性質上シリアスで悲しい物語となる傾向はあるが、一方で作品に触れた者に命の在り方や生き方というものを問いかけるような作品も多く、単に「悲しい別れ」というものではなく、そこに至る、それだけの悲しみを発露させるに至るバックストーリーにおける愛情や友情といったものが溢れている作品が多いもの特徴である。
また、積極的な問題解決に向かって物語を組み立てつつ、それぞれなりのハッピーエンドに向かわせる方向で創作されることもある。
東方Projectの世界観における死後のあり方
盆に帰省(幽霊)
幻想郷には幽体という概念があるため、魂のままでも行動ができる。
しかも妖々夢以降、現世と冥界の結界が緩くなっているため簡単に顕界に来ることができるのだ。(一応やってはいけない行為らしい)
それでも盆になって遺族が迎え火を焚くと、顕界に行くことが許される。
顕界を一頻り見て回るお盆観光ツアーも行れているようだ。
冥界と地獄
ただし、上記のそれは「冥界に行けたならば」の話でもある。
東方Projectの世界観においては閻魔らの所属する「是非曲直庁」含む「地獄」もまた多忙さに圧迫されながらも機能しており、閻魔による裁判の結果によっては地獄で鬼神長以下鬼達の拷問を受けながら生前における「罪の重さに気づくまで地獄にいる」(『[[[東方茨歌仙]]]』)必要がある。
このとき、「一時的に輪廻転生の輪からも外される」(『東方求聞史紀』)こととなる。
全ては閻魔「四季映姫・ヤマザナドゥ」(幻想郷管轄の閻魔様)の裁判次第であり、その際には裁かれる側の「意見を聞くことなく」(『東方求聞史紀』)裁判が進められるため、彼女の前に立った段階ではすべてを受け入れる他にない。また、彼女には閻魔として他の要素に影響されない絶対の基準(白黒はっきりつける程度の能力)が備わっており、反論も懐柔も意味を成さず、判決も覆らない(生前に彼女から地獄に落ちないよう予め警告を受けることはある)。よってお盆の時期を含め「死んでも幽霊になっていつでも会いに来られる」ということは、必ずしも保障されないのである。
(ただ、後述のように死後亡霊として現世などに留まることもケースとしてはある)
当人が道を外れて怨霊にでもなってしまえば、地獄のより深い部署で贖罪の役が科せられることにもなる。『東方茨歌仙』では近年の騒動において地獄の蓋が緩んだ経緯から怨霊もまた現世に彷徨い出る結果となっているが、この実態は同作において小野塚小町によって彼女の言うところの「ボス」に報告されるとのことであり、怨霊は妖怪含む生者により悪影響をもたらす危険な存在であることもあって今後何らかの対処がなされる可能性がある。
怨霊も本来は地獄にだけ居る存在なのである。
元々地上にいちゃいけない奴らだから良いでしょ?」
小野塚小町(死神):「怨霊だって? そんなもんこの世にいるのかね?」
「転生」と「成仏」
裁判の結果地獄に行かない場合、先述の冥界にて「転生」か「成仏」を待つことになる。
ただ転生は、輪廻の輪のどこに戻るかも閻魔の判決によるものであって本人が指定できるものではない。
御阿礼の子も転生を繰り返す存在であるが、このケースは特殊な役割を持つ特別なケースであり、さらに『東方求聞史紀』によれば記憶の大部分は継承されず喪失する他、次回の転生までの周期が長く、転生後は「前回の自分」を知っている人間はまずいない。
今代の御阿礼の子である稗田阿求は「幻想郷縁起」(『東方求聞史紀』)において、転生の度に「人間関係がリセットされるのが一番つらいことだった」と述べている。
なお、例え冥界に行ったとしても何事もなく転生ないしは成仏というわけでもないようである。
阿求によれば、閻魔の判決後冥界に行ったとしても冥界の管理人である「西行寺幽々子」の怒りを買うようなことがあれば、場合によっては輪廻の輪から断たれ、地獄に送り返されることともなる。死後も悠然と「幽体としても存在できる」というものではないようである。
また、先述の茨木華扇(茨華仙)のように幽体の状態にあるものを消滅させる力を持つ存在(ただし作中で握り潰したのは先述のように「危険な怨霊」)もあり、幽霊となっても生前の在り方とは異なるもののそれなりの「死」に見舞われるケースがある。
「外の世界」とメンタリティや世界観の違いのある幻想郷と言えど、やはり「生」は替えの利かない価値を持つものであり、例外はあるが多くのケースで「死」は逃れられぬものである。
東方永夜抄、東方儚月抄(特に小説版)、東方茨歌仙等の作品でそれに関する記述や発言が見られる。
本人の「死」ではなくとも、他者のそれによる「別離」は、不死者同士でない限り避けられない。
例えば聖白蓮は東方星蓮船以前、弟聖命蓮との別れを経たことが魔法使いとしての道を進むきっかけともなっている。
どれほどの友情や愛情を重ねようとも、種族的な違いによって人間の方が遥かに速く老い、死に向かっていく様、あるいはその結果としての別離を想像するとき、二次創作など含め「寿命」ということがより重みのあるテーマとして設定されるのである。
一方で原作における登場人物たちが、
「毎日が楽しければ何一つ問題ない」(魔理沙、『東方求聞口授』)、
「そんなエキセントリックな出来事(人間が喰われる事)はここ(幻想郷)にしかない」
といったおおらかでポジティブかつアクティブなメンタリティであることも発言などからは読み取れ、「幻想郷縁起」における阿求のように現状の幻想郷の在り方をかなり肯定的にみるものもある。
東方Project作中における、寿命問題に対応したケース
設定上、その「生」を延長したり、または不死者となったケースとして、元が人間の場合には以下ようなケースがある。例示の人物はいずれも、元は人間またはその可能性が示唆されている人物である。
- 妖怪
例)雲居一輪(ただし、「魔法使いに近いタイプ」とも)
- 魔法使い(食捨の法の取得時点から)
例)アリス・マーガトロイド、聖白蓮
- 亡霊(ただし、目的達成か元の体が供養されることなどで成仏する)
例)藤原妹紅
- 天人(仙人として不老不死を得るか死後成仏するかのいずれかの方法による)
例)比那名居天子
- 仙人(ただし、修業の怠慢や死神との戦いの敗北で消えたり地獄に落ちたりする)
- キョンシー(一種の不死者であるが、阿求によれば「自我はないに等しい」)
例)宮古芳香
- 神霊
例)豊聡耳神子(仙人でもある)
例)八坂神奈子
また綿月姉妹(綿月豊姫、綿月依姫)などの月人も桁外れに長命な人々であるが、来歴含め詳細が不明である。儚月抄ではその長命さは月人らの住まう「裏側の月」に「穢れ」が無いことに由来するとされている(「浄土」とも表現される)。逆に「生と死」に塗れた地である幻想郷を含む地上は穢れた土地であり、本来永遠に生きられるはずの生命に寿命という限界をもたらしているのだとしている。
ただし上記の方法で長命者、不死者となることで、後述のように「先立つ側」から「見送る側」に立場が入れ替ることともなり、二次創作作品ではそういった人物たちの種々の苦悩が描かれることもある。
二次創作作品などで登場する東方寿命問題の関係者
「先立つ側」としてはシリーズ主人公の博麗霊夢はじめ、上記の霧雨魔理沙や十六夜咲夜、そして人間の中でもさらに寿命の短い御阿礼の子である稗田阿求がよく描かれる。
「残される側」としては人間と関わって生きる妖怪であるレミリア・スカーレット等や、死ぬことの無い蓬莱人(藤原妹紅など)、すぐに同じ姿で生まれ変わる妖精(チルノなど)が多い。
また、森近霖之助や上白沢慧音は「人間より長寿だが妖怪よりは短命な存在」として、残される側と先立つ側の両方で描かれることもある。
タグ付けに関する注意
キャラクターの「死」あるいはそれに類する暗示と残されたものの想いを描いた作品において、その原因が明かされず、詳細が閲覧者の視点に委ねられているなどの作品もある。
その際に「寿命の可能性もある」という趣旨を込めてこのタグが用いられるケースもあるが、ただこの場合において作者本人がこのタグをつけるのではなく閲覧者が後からつける場合、せっかく作者が閲覧者に自由な想像や考察をゆだねたその「理由」を寿命問題に収斂させてしまい、作品の意味を損ねてしまう可能性があるので、タグをつける際には注意することが必要である。
また、寿命に関する意図が無い作品につけてしまうことのないよう注意が必要である。
寿命は実生活においても大変繊細なテーマであるため、本タグの使用には他の死生観を含むタグ同様、慎重を期したい。