事故概要
発生日時 | 1992年10月4日 16時頃 |
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発生場所 | オランダ アムステルダム |
機材 | ボーイング747-258F |
乗員 | 3名 |
乗客 | 1名(貨物機) |
犠牲者 | 43名(乗員乗客全員に加えて墜落先のアパートの住人39名) |
アムステルダム上空の惨劇
テルアビブに向けて貨物と便乗したイスラエル行きの一人の乗客を乗せてスキポール空港を離陸したエル・アル航空の所有するこの貨物機は、ベテランの機長や機関士と若手の副操縦士の手でオランダ上空へととびたった。
だが、7分ほどして第3エンジンと第4エンジンが停止し突然右に旋回し始め、更には右翼の油圧も喪失して右側が上がり始める。
エンジンや油圧の喪失を抱えながらも、機長は必死に機体をコントロールし、空港管制官も周辺の機体を上空に避難させながら対応しようとする。そして低空を旋回するうちに第3エンジンの火災を告げる警報が鳴りだす。消火剤も効果が見られず空港に戻り着陸しようとする。一度目のアプローチでは速度が速すぎたために旋回を繰り返して少しずつ減速させて降下しようとした。
だが、着陸態勢に入ったところで奮戦していたパイロットたちの命運が尽きてしまった。着陸に向けてフラップの操作をしたところ、減速して揚力のバランスが崩れ、とうとう制御不能になり墜落してしまった。
そして横転しながら落下していった先には、よりにもよって11階建ての高層アパートがあった。横長のアパートの真ん中あたりに激突し、機体はアパートをほぼ真っ二つにする形で大破。部屋を留守にしていた住民が多かったため、当初予想されていた200名ほどの犠牲者は出なかったが、それでも39名が命を落とし11名がけがを負った。機体の乗員乗客はもちろん全滅であった。
エンジンは無くなっていた!
実は、一年ほど前に中華航空も貨物機が台湾山間部に墜落して全滅事故を起こしており、B747の設計に不備があるのではと危惧されていた。
エル・アル航空はイスラエルの国営ということもあり、当初は周辺諸国の手によるテロが疑われた。一方でイスラエルの貨物機ということで、積み荷に大量の火薬があったのではという憶測も出ていた(当機は中東問題の影響から、イスラエルの国旗と社名が除かれていた)。
事故に遭ったアパートの周辺住人への配慮から、アムステルダム市当局によって、瓦礫や飛行機の残骸はゴミ捨て場へとまとめて移送され、そこから証拠の部品を探すという困難な作業を強いられる。フライトデータレコーダーは何とか見つかったものの、コクピットボイスレコーダーは墜落の衝撃で木っ端みじんになってしまったのか結局発見することはできなかった。
が、意外なところから調査は進展する。その日休暇でホーイ湖に釣りに出かけていた警察官から「B747からエンジンが二つ湖に落ちたのを見た」という目撃証言があり、それをもとに湖を調べたところ、まず第4エンジンと其れにくっつく形で落ちた右翼前部が、そして数日後に第3エンジンも発見された。そう、当機に起こったエンジン喪失は”エンジンが故障して推力を喪った”のではなく”エンジンが文字通り飛行機から取れてしまっていた”のだった。
更に、発見された残骸に付着した塗料を調べた結果、外れた第3エンジンが斜め後方に流れ第4エンジンに激突して右翼からもぎ取ったことが判明したのである。
そして、更に残骸を調べたところ、エンジンをパイロンに固定するヒューズピンが発見される。それが設定よりも早く金属疲労を起こしており、それにより破断してエンジンが外れたと推測された。この過程で当機は右翼前側のフラップや油圧も根こそぎ持っていかれ、飛行バランスを保つ手段が奪われてしまい、右に大きく傾きながら落下しアパートに激突してしまったのである。
ちなみに、エンジン火災警報は取れたエンジンそのものに燃えた痕跡は発見されなかったので誤報だった模様。おそらくエンジンが取れた際に右翼前面を損傷させたとき、一緒に破損させたものと思われる。
これを受けて(上記の中華航空358便墜落事故の原因もヒューズピンの不備によるエンジンの玉突き落下と推定)ボーイング社はヒューズピンを新規設計して各社に取り換えを指示することとなった。
関連タグ
フィクションじゃないのかよ!騙された!←用語等はこちらに
トランスエア・サービス671便エンジン脱落事故←原因こそ違えど本事故と同様に片側のエンジンが全て脱落した事故。なお、どちらも緊急着陸に成功して乗員全員が生還している。