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カート・アングル

かーとあんぐる

カート・アングルはアメリカ合衆国のプロレスラー、元レスリング選手。
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概要

アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。
学生時代からレスリングで活躍し、後に総合格闘技で活躍したマーク・ケアーやマーク・コールマン、ダン・スバーン、シルベスター・ターカイにも勝利している。
1996年のアトランタオリンピックで開会前に首を故障しながらもレスリング・フリースタイル100kg級金メダリストに輝く。
その後現役を引退。CMに出演するなどのほか、地元ピッツバーグでスポーツキャスターとして活動していたが長年スポーツ・エリートとして生きてきたアングルはこの生活に飽き、自らプロレスラーへの転向を計画。
1998年にWWE(当時WWF)とマイナー契約し、ドリー・ファンク・ジュニアやトム・プリチャードのコーチを受ける。インディ団体での修行期間を経て、1999年11月にWWE公式デビュー。
1998年10月にはザ・ロックを破りWWF王座(現:WWE世界王座)を初戴冠。
2002年12月にはビッグ・ショーを破ってWWE王座を獲得。
2003年に入ると、新人だったシェルトン・ベンジャミン、チャーリー・ハースのレスリング経験者を率い、リーダーとなってチーム・アングルを結成。(2003年に追放される。)
2004年2月、レッスルマニア20でエディ・ゲレロのWWE王座に挑戦。同大会の終了後、持病の首や2003年末に痛めていた足の怪我の治療を行うためにレスラー活動を一旦停止する。(7月に復帰)
2006年1月13日にバティスタが怪我のため世界ヘビー級王座(WWF王座とは別物で2013年に廃止。)を返上したことによるバトルロイヤル形式の王者決定戦に急遽参戦して優勝。
8月、個人的な問題や健康状態(痛み止め薬の服用など)を理由にWWEから解雇されたが9月、全米第二の規模の新興プロレス団体TNAのTVショー内で移籍契約をしたと電撃発表。
2014年9月、契約満了により、退団。そして、2016年をめどに、プロレスラーを引退することを表明した。(その後、TNAと再契約が決定した。)

2017年1月、WWE殿堂入りが決定。4月、そのブランドである「RAW」のゼネラルマネージャーに就任した。
同年10月22日、PPV『WWE TLC:Tables, Ladders & Chairs』に於いて、ハンディキャップTLCタッグマッチに出場予定であったロマン・レインズが病欠したため急遽代役に決定、WWEでの試合復帰を果たした。

日本での活動

日本では2007年1月、新日本プロレスへの参戦を発表
2月に永田裕志とタッグを組んでトラヴィス・トムコ&ジャイアント・バーナードの王者チームと対戦。
6月、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)旗揚げ戦でWWE時代から長く抗争を続けていたブロック・レスナーとシングルで対戦しアンクル・ロックで勝利し、レスナーが保持していたIWGPヘビー級王座(IWGP 3rd)のベルトを手中に収めた(なお、レスナーは新日より王座を剥奪されており、「IWGP 3rd」の「ベルト」のみ賭けられた。また、試合後にはレスナーとの和解を果たした
12月にIGF「GENOME2」でケンドー・カシン、2008年1月には新日東京ドーム大会で永田裕志と「IWGP3rdベルト」を賭けて対戦し共にアンクル・ロックで勝利を収めたが、2月の新日両国国技館大会で中邑真輔との「ベルト統一戦」に敗れ、3rdベルトを手放す。
2009年4月、両国国技館大会でIWGPヘビー級王座を賭けて棚橋弘至と対戦したが敗れた。


得意技

アングル・スラム(旧名オリンピック・スラム):アングルのオリジナル技にしてフィニッシュ・ホールド。相手をファイヤーマンズキャリーで捕らえ、そのまま後方へ倒れこみながら、相手の体を自分の片肩を支点に半回転させつつ後方に投げ落とし、背中・肩口・頭部辺りからマットへ叩きつける技。
アンクル・ロック:フィニッシュ・ホールド。アングルの代名詞的な技。自分の名前をもじってアングル・ロックともいう
ベリー・トゥ・ベリースープレックス
ジャーマン・スープレックス
ムーンサルトプレス

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