概要
この人物は14世紀から15世紀に存在したと伝わっている伝説上の人物であり、秘密結社『薔薇十字団』( 人類を死や病といった苦しみから永遠に解放する、つまり不老不死の実現を目指す目的を持っているとされる、また、教皇制の打破による世界改革も目指していたとされる、のちにこの団体の後継を自称する人物や団体が多数存在するようになった )を創立したとされる。
人物に関しての記述
この人物に関しては、一般的に怪文書とされる『友愛団の名声』( Fama Fraternitatis、1610年前後に成立したと推測され、1614年、ドイツ語にて『全世界の普遍的かつ総体的改革』の付録として出版 )においてドイツの貴族の家系に生まれ、3人の盟友と共に友愛団を結成したとされているものの、具体的な名称は記述されず、「同志C.R.」あるいは「修道士C.R.」および「C.R.C.」と記述されている。
また、1615年に出版された『友愛団の信条』( Confessio Fraternitatis、ラテン語で出版され、内容はより強い教皇制の打破による世界改革を訴えたものとなっている )において1378年に生まれたことおよび106歳で死亡したことが記述された。
さらに、1616年にドイツで出版された『化学の結婚』( Chymische Hochzeit、匿名での出版であるが、現代では著者はルター派の神学者であり、著述家でもあったJohann Valentin Andreaeとされている、内容としては錬金術的な内容にの寓話小説とされる )において、主人公の名前をChristiani Rosenkreuzとしたことにより、この人物と『薔薇十字団』の創設者である「C.R.C.」が結び付けられ、クリスチャン・ローゼンクロイツあるいはクリスティアン・ローゼンクロイツ( Christian Rosenkreutz )と呼ばれるようになったとされる。
年表
これらの年表は上記文書の記述による。
- 1378年 ドイツ貴族の家系に生まれる
- 1383年 貧困のため修道院に送られ、ラテン語およびギリシャ語を習得、3人の仲間を見つける
- 1394年 エルサレムへの巡礼の途中、イエメンに立ち寄り賢者に知り合う。
- 賢者のもとでアラビア語、数学、自然学を習得、その後「Mの書」という書籍の翻訳を行う
- 巡礼終了後、モロッコに立ち寄り諸元素の住民と知り合う
- その後ドイツに帰国
- 3人の仲間とともに薔薇十字団を立ち上げ、さらに4名の同士を得る
- 1484年、106歳で亡くなり、秘密の墓に埋葬される
- 1604年ごろ、墓が会員により発見され、遺体は完全なまま発見されたとされる。また、予言が墓になされていたとされる
そのほか
- この人物に関する記述は上記文書しか存在せず他の一次資料および二次資料が存在しないため実在が疑問視されている。
- 一説によるとこの「ローゼンクロイツ」という名称は当時ハプスブルク家に支配されたヨーロッパにおいて名目上新教徒であるイングランドの王族を迎え入れる願望からきているという
- 彼の起こしたとされる薔薇十字団は実際のところ団体として確認されていないようであり、この団体を名乗る団体および関連があるとされる人物はたいてい自称である。