その名の通り宇宙戦争を題材とした2人対戦型コンピュータゲームであり、世界初のシューティングゲーム。ミニコンピュータ(ミニコン)『PDP-1』で開発された。
ゲームシステム
画面中心にある太陽を挟んで対峙する2隻の宇宙船を操作し、ミサイルを撃ち合って戦うゲーム。制限時間終了時の撃破スコアで勝敗が決まる。画面中心の太陽に触れても破壊され、相手の得点になる。
この頃のコンピューターにはキーボード等は付いておらず、本体に付いているトグルスイッチで操作する仕組みだったのだが、モニターから離れて操作するのは流石に不便だったため、ジョイスティック搭載の専用コントローラーが作られた。これが史上初のゲーム用コントローラーとなる。
歴史
マサチューセッツ工科大学の鉄道模型クラブに所属していたスティーブ・ラッセルが中心になって開発された。
この鉄道模型クラブは元々は名前通りの鉄道模型サークルだったのだが、途中からコンピュータマニアの集まりと化していた。鉄道模型マニア兼コンピュータマニアのラッセルも1961年にこのクラブに入会した。
ラッセルはスペースウォー!の土台となるゲームを1人で作り上げ、その後は学内の仲間達と共にテストプレイを重ねつつ要素の追加やシステムの改善を加え続けた。
1962年5月の年次科学セミナーにて、遂に正式にスペースウォー!を発表した。
ラッセル自身の意向もあってこのゲームはパブリックドメインとなり配布・改変の自由が認められた。全米50ヶ所のPDP-1に広まり、各地で亜種や改造版が作られた。一種のフリーゲームとも言える。
その後ラッセルは教育機関のプログラミンググループに所属するなど、ゲームよりもコンピュータプログラムに近い分野で活躍を続けた。中学時代のビル・ゲイツとポール・アレンにコンピュータの使い方を指導したこともある。
コンピュータースペース
後にATARIを創業するノーラン・ブッシュネルも、自身が在籍していたユタ大学のPDP-1でスペースウォー!をプレイしており、アタリ創業前にスペースウォー!の改造版を作ったことがあった。
それが1971年に発売された『コンピュータースペース』である。
元々のスペースウォー!が2人対戦専用ゲームなのに対し、こちらは1人プレイ用のゲームである。
スペースウォー!はプレイするのにPDP-1が必要となるゲームだったが、ブッシュネルは遊園地や酒場等様々な場所に設置できるアーケードゲームに改造して売り出した。
当時はアーケードゲームと言えばピンボールやエレメカ等が主流であり、アーケードでビデオゲームが作られたのはこれが初めてだった。
結果的には難易度の高さや処理速度の遅さが原因で不人気に終わってしまったものの、
スペースウォー!はブッシュネルがビデオゲームに本格的に携わる切っ掛けを作り、ひいてはビデオゲームを一大産業に育てるアタリ誕生への萌芽になったと言える。
関連タグ
コンピューター コンピュータゲーム シューティングゲーム Atari