映画にあらかじめ存在するルールなんてない
だってつくられた作品がそのままルールになるのが映画なんだから
作品解説
押井が手がけた実写映画としては『紅い眼鏡』・『ケルベロス地獄の番犬』に続いて三作目に当たる。
戯画化されたアニメーション映画制作現場を舞台としたサスペンス劇仕立ての作品だが、『映画』がただの映像として誕生してから劇映画となり、モノクロサイレント映画を経て現在のカラー&トーキー映画となるまでの映画史と、それに付随する映画論及びアニメ論その他ウンチクを屁理屈を交えて長々と語る「『映画』を語る映画」となっている。
一応(?)はエンターテイメント的・ミリタリー的な見どころのあった前2作以上に人を選ぶ内容となっており、歴戦の押井作品フリーク達でさえも「『トーキング・ヘッド』だけはちょっとキツい」と言うほどだが、押井の映画に対する考え方が顕著に窺える作品でもあるため、興味のある人はチェックしてみると良いかもしれない。
押井によると、本作は『機動警察パトレイバー2theMOVIE』の監督を引き受けることの交換条件として出した企画であったという。また、「製作途中に失踪した監督の代わりに映画を完成させる」という本作のシチュエーションは、押井の監督デビュー作である『うる星やつらオンリー・ユー』での実体験が元となっている。
『紅い眼鏡』同様に小劇場での舞台演劇を意識した演出がなされており、撮影は脚本家・伊藤和典の実家の映画館を借りて行われた。
主演は声優の千葉繁が務めた他、くじらや松山鷹志、田中真弓、立木文彦といった本職声優が俳優として顔出し出演しており、登場人物達の名前は実在のアニメ業界関係者の名前を捩ったものとなっている。
物語
スタジオ八百馬力がその総力をあげて製作を開始した超大作アニメ映画『Talking Head』。
しかし、公開が間近に迫りながらも、この作品は巨大な暗礁に乗り上げていた。
企画立案者であり作品の総責任者でもあった監督「丸輪零」が突如失踪してしまい、製作現場は納期1ヶ月前だというのに作画どころか脚本さえ完成しておらず、作画監督すらどこかへ雲隠れしてしまうという危機的状況にあったのだ。
頭を痛めたプロデューサーの鵜之山は、そこでどんなに無茶で劣悪なスケジュールでも必ず納期までに完成させるという業界の影に生きる裏演出家である「私」に、作品の製作引き継ぎを依頼する。
「私」はさっそくスタジオへと乗り込み、デスクの半田原と助手の多美子を連れて、製作スタッフの面々と相対する。
だが、スタッフ達は突然やってきた「私」を敵視し、それぞれ自らの担当する職分こそが「映画」を構成する要素において最も重要な本質であると言って憚らない。
そんな中、そのスタッフ達が次々に殺されていくという殺人事件が起こる。
一体、誰が?何のために?いや、そもそも映画は果たして完成するのだろうか?