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天使のたまご

てんしのたまご

1985年に制作、徳間書店より発売された日本のOVA作品。原案・監督・脚本は押井守。
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あなたは、だあれ?


作品解説編集

1985年に制作されたOVA

アニメーション制作はスタジオディーン


旧約聖書の『ノアの方舟』を独自解釈した世界観を背景に、押井守が現在に至るまで頻繁に用いる「自己存在・自己認識への懐疑」というテーマを盛り込んで作家性全開で作られた作品。

全体的なストーリーには大きな起伏はほぼ存在せず、極めて前衛的な内容となっており、作中には聖書におけるシンボル(樹木とか あとシーラカンスみたいなのは「魚=ロゴス」だというキリスト教的な解釈説がある)を暗喩化したモチーフや、性器を模した兵器群(ちなみに最後のぶわーってなる羽毛は監督によると「射精」の暗喩)、意味ありげな伏線めいた表現等が多数散りばめられているが、それらの答えが物語上でわかりやすい言葉や表現で描かれることはなく、観客の見方次第で様々に解釈することができる作品となっている。


作画監督の名倉靖博を始めとして、当時若手ながら優秀なアニメーター達による天野喜孝のキャラクターデザインに基づく繊細な髪の毛や水の動画表現は常軌を逸したレベルの高さにあり、作画スタッフの手伝いに入っていた庵野秀明がその「修行僧の如き世界」の仕事量に耐えられず二週間で逃げ出したというエピソードもある。

また、押井の「世界観を建築様式に託し、そこから物語をシミュレートする」という作劇セオリーや、美術監督兼レイアウト監修を担当した小林七郎との仕事から独自のレイアウトシステムと演出技法を確立させる契機となった作品でもあり、押井自身、後に「本当に好き勝手に作ろうとすると結局、何でも『天使のたまご』になってしまう」と零すなど、彼のフィルモグラフィーの上で非常に重要な作品である。


しかし、娯楽性を一切無視してあまりにも趣味と作家性に突っ走り過ぎた本作の芸術志向の難解な内容から、押井は「ワケのわからん退屈な作品を作る監督」という不本意なレッテルを貼られてしまい、『機動警察パトレイバー』まで仕事がさっぱり無くなってしまった(要するに干されてしまった)。

ちなみに作った押井本人も本作を最初から通して観ると疲れるらしく、当時から親交のあった宮崎駿からは「努力は評価するが、他人には通じない」「なんで作れたかわからない」「頭おかしい」と直接評されたという。


ビューティフル・ドリーマー』の高評価によってアニメ監督としての地位を確立した押井守が、一度はアニメ監督としての仕事を失うという大きなターニングポイントを迎えることになってしまった問題作。

しかしこの作品を押井守の最高傑作とするファンも少なからずおり、押井守自身も本作を会心のでき映えと自負し続け、「この作品によって僕の運命は変わった」とふり返っている。


VHS版・LD版の廃盤以降、長らく映像ソフトが入手できない時期が続いていたが、現在ではDVD版とBlu-ray版の両方が発売されている。


2025年に40周年を迎えることを記念し、4Kリマスター版の制作が発表された。


あらすじ編集

中に数多の人型の彫像が鎮座する巨大な眼球の如き機械仕掛けの太陽が海に沈むことで、夜を迎える世界。

水没を繰り返す廃墟の町では影達が実体の無い魚を夜な夜な追い回していた。


大きな「たまご」を抱えながら、ガラス瓶を集めて廃墟の町で独り暮らす少女。

ある日、武器を背負った少年が赤い戦車の群れに乗って町を訪れ、少女と出会う。少女は少年に「羽根の生えた生き物」の化石を見せ、自分が温めてる「たまご」は「天使のたまご」なのだと語る。

しかし少年は、少女の寝ている間に自らの携える武器で「たまご」を突き砕いてしまう。

「たまご」が割られたことに気づいた少女は泣き叫び、再び旅立つ少年の背を追うが、その途中で天へと入水して大人の女性の姿へと転生するのだった。


登場人物編集

少女

声:兵藤まこ

廃墟の町で水を詰めたガラス瓶を集めながら、独りで暮らす幼い少女。いつも大きな「たまご」を妊婦のようにしてお腹に抱きかかえており、中にいる「天使」が孵るのを待っているのだと語る。


少年

声:根津甚八

十字架にも似た大きな武器を担いだ少年。旅の途中に少女の住む廃墟の町へと現れる。


世界観・裏設定編集

公式ガイドブック、絵コンテ集、DVDのパンフレット、押井守関連書籍、などにある監督インタビューや、監督が文章を書いた文庫版、などから判明している作品の設定・背景など。


・天使の化石は現実にはあり得ないものが形になったオブジェ。

少年は現実にはありえないものを信じている少女に対して何ともいえない絶望感を抱いて、卵を割ることで少女を解き放とうとした。


・あの卵は夢とか希望みたいなそこにはない可能性でしかないものの象徴で、それを信じているうちは本当の現実に出会うことはない、その夢を打ち砕かれることなしには本当の出発はない、だから卵を割られることによって初めて少女は本当の現実の自分に出会えた、という意味もある。


・あの巨大な眼球を模したものは「太陽」。手の届かない彼岸のようなイメージのもう一つの世界。


・実はあの世界そのものが転覆しかけたまま漂い続けている巨大な方舟の上だったというオチ。


・実はあの世界そのものが少女の自我の作り出した世界だったので、卵を割られることで少女も自分の殻を破って変身して、少女の自我が変貌したのであの世界も姿を変え、そしてあの世界は彼女で終わりになり、そして新しくなる。

卵が割れたシーンが世界の終りであり始まりを示すシーン。

天使のたまごは他者に出会って世界が新しくなるという話。


・焚き火があって少女が寝ていて少年が側にいる場面は、二人がセックスをしている暗喩だと考えてもらっていい。そういうのを目指した演出だった。

つまり卵を割るシーンは処女喪失の暗喩で、大人の姿に変身したのも大人の女性になった事を自覚したからという意味も含まれている。

監督はそういうのを直接描くのではなく言外に匂わすような表現にすべきと思っている。


・ラスト一斉に巻き上がる白い羽も壮大な射精のメタファー。


・赤い戦車は巨大な男根で、巨根願望のメタファー。


・夜毎水没を繰り返す街は月経のメタファー。


・天使のたまごに出てくる魚の意味は日常。


・少年が十字架のような銃を背負っているのは、少年が現実を担っていてある重荷を背負って生きているという象徴。それが少女の前に圧倒的な他者となって出現する。

少年=キリスト。女の子は停止した時間を生きてきたが、そこに少女を現状から救い出す存在であたかもキリストを連想させる救済者の少年が登場する。


・あの世界はノアの方舟から放たれた鳥が戻ってこなかった世界で、もう鳥はいないけれど羽毛だけが海岸に打ち寄せられている。

最後、少年はもう鳥はいない、天使の化石も鳥ではなかったと知っているけれど、ただ羽毛だけが残って舞い散ってる、そんな世界に彼は生きているということで情緒を出す演出。


・聖書ではアララト山に方舟はたどり着き、そこから新しい世界が始まったという風になっているけれど、本当は箱舟はアララト山にはつかなかったのじゃないだろうか?と考えた。つまり我々が現実と信じているものは全て幻想なんだと現実をひっくり返す発想をしてみた。


・少女の正体は、ノアの方舟から陸地の有無を確かめるために放たれた鳥が帰ってくるのを人々が長い間待ち続けていたけれど、いつか全ての動物は化石になり人々も皆死んでしまった中で、たった一人取り残された者。


・監督は最後は少女の方には救いを託したつもりで、上に登っていくというイメージや水中で吐かれた泡が卵になって廃墟の街に浮かび上がるのが、ある種の救いとか希望を表している。


・監督は当時ユングにはまり元型や集合的無意識に狂っていたので本作品のあらゆるモチーフを象徴的表現や暗喩で埋め尽くす事に執念を燃やしていた。


・監督が後に作った『迷宮物件』というアニメが天使のたまごの後日談的な話で、そこに出てくる女の子が天使のたまごの卵から生まれた神で、卵の殻がついているヒヨコのイメージ。


※押井監督がアニメのイメージボードに沿って文章を書いている『文庫版 天使のたまご』の、アニメでは語られていなかった詳しい世界観。

・少年は大昔の洪水が起こった時からいて、その時の人々が一斉に鳥を放った光景が忘れられず、自分の名前も元いた街も忘れてもずっと鳥の行方を捜して色々な場所をさ迷い続けている。

・少女はノアの方舟で生きのびた末裔の最後の一人だが、いつからあそこにいるのか自分でも分からない。

・実は少年と少女はすでにいなくなってしまった人の記憶の亡霊。あの世界の人々はもういなくなり記憶に変わっていて、風に混じってる声も記憶の断片。

・言葉は魚に変わっていて、魚の影はもう語られることのない言葉の幻影。魚の影を追う人たちはいなくなってしまった人々の悔恨の想いがそこに揺らいでいるもの。

・本物の鳥ももういなくなっていて、今はその記憶から生まれた、樹が変貌してできた卵の中の胎児となって夢の中で空を飛び続けている。

・実はあの世界は少女の自我が影響してできていたので、卵を割られて少女の自我が変わった事で少女の姿は大人に変わり、住んでいた場所も寺院のような外観に変わり化石も消え、街も廃墟になった。

・最後、少女は太陽の上で神々に混じって穏やかな顔の像になって上昇していく。置き去りにされた少年は追いすがるように哀しく見えるが、もう地上には少年一人が立ち尽くしてるだけ。

・少年は数日後にあそこを去って、その後は誰にも出会うことなく、鳥も人もいなくなった瓦礫の世界をさ迷い続けた。


余談編集

押井は当初タツノコプロ時代のタイムボカンシリーズ等を担当していた天野の作風で、コンビニの駐車場に乗りつけたノアの方舟から降りてきた少女が、店内にたむろしていた怪しい客と織りなすコメディ色が強い作品を構想していた。しかし、実際上がってきたのはシリアスで暗い目をした少女の設定画であったので方向転換したのだという。


天野のデザイン画をアニメートするにあたり作画監督がなかなか見つからず困っていたが、名倉靖博の元におとずれたところ「そろそろ来るころだと思っていました」と引き受けてくれたといわれる。


押井の「甲冑に内臓を詰め込んだような」という指定を元に、天野がデザインした戦車(上記のように性器の暗喩)は、スタジオぴえろに出入りしており押井と面識があった新人メカデザイナー森木靖泰がコンセプト画を元に設定をおこした。


押井の元にはセル画の彩色を行うパートの女性たちから「下請けをいじめないでください」と直訴の手紙が届いた。


押井の師匠である鳥海永行は人前でこそ褒めなかったものの、押井を呼び「お前はアニメにとって良いことをした」と食事に連れて行ってくれたというが、その理由は語ってくれなかったという。


押井はアニメ業界から干された時期に、FC用RPGサンサーラ・ナーガを企画し制作したが、巨大な石像に囲まれた舞台設定やストーンヘンジのある背景など、世界観が本作の雰囲気を引きづっている。デザインを担当した桜玉吉は依頼を受けた際に押井のことを知らなかったが、知人のアートディレクター・サイバー佐藤から叱られ、この作品を見るように勧められたという。


漫画家の藤田和日郎は習っていた形意拳の指導者に、「弟が映画を撮ったから見てくれ」ともらったチケットがこの映画のものだった。指導者は押井の実兄だったのである。


押井は姉の舞踏家・最上和子との2017年の対談で、制作当時に見てもらい感想を聞いたところ、ボロクソに評されたことを回顧している。


海外での権利は製作の徳間書店ロジャー・コーマンに売却してしまい、その後転売に転売を重ねたために海外での著作権者が不明となっている。そのため海外の映画に映像が使用されていたり、海外でのソフト化ができないという状況になっている。


監督の押井守にとっては「天使のたまご」はかなりの自信作だった。

曰く「天使のたまごという作品は、監督としての僕にしてみれば会心の当たりに近かった。しかし結果的には天使のたまごという作品をつくった後、しばらく仕事のない時期(簡単に言えば業界からはされた時期)があった。次にようやく作品をつくらせてもらえたのは三年後の迷宮物件という作品だった」しかし「天使のたまごは最近になってヨーロッパから問い合わせがきたりしている。僕はそのようにして、僕自身の尺度でちゃんと勝ち残ってきたつもりだ」と語っている。

2021年のインタビューでもまだ「今でも自分の根拠になっているのは天使のたまごだからね。ビデオが売れず、その後ずっと仕事を干される原因になったあの作品がいまだに私の根拠」と語っている。


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