根津甚八とは、
- 真田十勇士の一人。以下の2、3のモデルもしくは名前の由来でもある。
- 日本の俳優・脚本家・演出家(1947年 - 2016年)。
- 『BRAVE10』の登場人物。
1.の概要
「真田三代記」を始めとする講釈・講談における真田幸村の家臣で、「真田十勇士」の一人に当たる。通称は小六、諱は貞盛。禰津小六(信濃の国衆・根津政直(松鴎軒常安)の次男)、浅井井頼(浅井長政の実子もしくは養子)などがモデルとされる。
滋野一族(真田氏の祖)のひとつ・根津氏の生まれで、訳あって大和絵師の父と共に故郷を離れ、その父と死に別れた後は丹波の豪族の居候を経て、海賊の頭領となったという。その経緯から水軍の指揮に長けたとされ、また同じ真田十勇士の筧十蔵とは義兄弟の契りを交わしていた。
穴山小助と共に関ヶ原の戦いに加わり、後に大坂夏の陣の最終局面にて、幸村の影武者となって討死した。
2.の概要
山梨県都留市出身、獨協大学外国語学部フランス語学科中退。本名は根津 透(ねづ とおる)。
1969年に唐十郎主宰の「状況劇団」に入団、1979年まで在籍。入団の際に唐から、本名の「根津」に引っ掛ける形で真田十勇士の「甚八」の名を与えられ、以後の芸名とした。
状況劇団に在籍中の1978年に、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に石川五右衛門役として出演し注目を浴び、以降も黒澤明作品を中心に舞台・映画・ドラマに多数出演し人気を博した。
2000年代に入ってからは右目下直筋肥大の罹患や、自らの起こした交通事故などの影響で活動縮小を余儀なくされ、その後もうつ病や椎間板ヘルニアなどを患っての療養生活の末、2010年に俳優業の引退を発表、テレビ出演など表舞台から離れる事を宣言した(脚本家や演出家としての活動は継続)。
2016年、肺炎のため東京都内の病院で死去。この前年に盟友であった映画監督・石井隆の要望に応じ、映画『GONIN サーガ』に出演。1作限りの復帰を果たしたこの作品が根津の遺作となった。
3.の概要
「BRAVE10」
CV:中井和哉
上田を離れていた筧十蔵が彼の下で世話になっていたことが縁で
「真田十勇士」に加わることになる。大の酒と女好き。
筧十蔵とは義兄弟の契りを交わしている。槍の扱いに長けており、
手から雷を発する能力を持つ。相棒として黒豹ヴェロニカを連れている。