「違う…… 意味ネェーッテ オレ中立」
概要
【破壊力 - なし/スピード - なし/射程距離 - なし/持続力 - A/精密動作性 - なし/成長性 - なし】
ケンゾーの持つスタンド能力で、彼の『暗殺風水』にとって要となる存在。
スタンド自体が独立した自我を持っており、やや片言の砕けた口調で喋る。
外見は東洋風の龍の石像のようで、2種類の形態を使い分ける特徴がある。ケンゾーの手元から出現する、風水羅盤のようなスタンドヴィジョンの上で『吉の方角』を示す際には、インテリアを思わせるシャープなデザイン。空中を漂い相手の『凶の方角』を示す際には、少し大きくなり丸みを帯びたデザインとなる(ただし、後者の形態でも吉の方角を示した場面がある。実は形態による制限はないのか、作画的な関係かは不明)。
劇中では後者の形態でいる場合が多く、そちらのデザインの方が上記のフランクな話し方も合わさって、ファンからはマスコット的な人気がある。
東洋風水学を能力とし、風水の観点から絶対的な『吉の方角』と『凶の方角』を指し示す。
ケンゾーはこれを基点として、『吉の方角(=安全方角)』で防御、『凶の方角(=暗殺風水)』で攻撃を行う。
ただし、ドラゴンズ・ドリームの能力は「吉凶を教える」だけで「吉凶を操れる」わけではない。示した方角に従えば敵でも利益を得られるし、逆らって行動すればケンゾー自身も被害を受ける。
ドラゴンズ・ドリームは自らを中立な立場と称し、「風水はミンナが知るベキ事」という考えを持つ。そのため、風水の布教活動の一環として行動するので、時には敵にもアドバイスをする事態も。
対してケンゾーは、風水を自分の為だけに使おうとするので、「オレはアンタの手下ジャネーッ」と悪態を吐くなど、本体との関係はやや険悪。一方で、「モットモじじいがオレを利用出来ルのは確か」と実力自体は認めている。
ドラゴンズ・ドリーム自身は、一切の攻撃能力を持たない反面、敵からの一切の攻撃も通用しない(=本体へのダメージのフィードバックもない)特性を持つ。更に、それを活用する為のもう1つの能力として、ドラゴンズ・ドリームを仲介した攻撃は相手にとって『凶の方角』へと自動的に導かれる。
具体的には、ドラゴンズ・ドリームに触れた部分が一時的に別の場所に飛んでいき、それによって発生する運動連鎖で対象に回避不可能な攻撃を与えるのが『暗殺風水』の真骨頂である。
『凶の方角』によって何が起きるかはドラゴンズ・ドリームにも予測できず、劇中で発生した事象は、
- 「眼鏡のテンプルが顔に突き刺さる」
- 「換気扇の部品がブーメランとなって脳天を貫通する」
- 「電気椅子の電流が直撃する」
とバリエーションは豊富。
回避は不可能でも被害の軽減は可能らしく、ドラゴンズ・ドリームもダメージを最小に努力するようアドバイスをしている。
劇中ではF・Fにラッキーカラーやラッキーアイテムを教える場面もあったが、それらが用意されなかったため、どの様な作用をもたらすかは不明。
また、ケンゾーにもラッキーカラーのセルリアン・ブルーを教えたものの、ケンゾーはダイバー・ダウンの反撃によって同じ色のバケツに突っ込み再起不能となる、皮肉な結末を迎えてしまった。
ラッキーカラー自体に『吉の方角』ほどの作用はないのか、攻撃をくらった後ではすでに手遅れということなのか、はたまた風水にも限界はあるということなのかは定かではない。
担当声優
余談
劇中では「本体の風水の技術が達人の域へと達して発現した」と説明されており、ジョジョシリーズの数あるスタンドの中でも、かなり異質な経緯を持つスタンドである。
そのため、ファンの間では「後の7部に登場するジャイロのスタンド『ボール・ブレイカー』と同じタイプである」と考えられる。
本体であるケンゾーは死にも等しい無惨な末路に陥ったが、当のドラゴンズ・ドリームには特段な悪影響が見られなかった為、スーパーフライやノトーリアス・B・I・Gのように、本体の死後も一人立ちできるスタンド かも知れない。
あるいは 死の運命 や厄災の化身 に通ずる、神の領域に位置するスタンドの可能性もある。
ドラゴンズ・ドリームの風水の布教活動が行動原理となり、それを妨げるケンゾーと仲違いするという特性は、逆に言えば正しく布教をしていれば邪魔もしないということになる。
そのため、本来なら人助けを目的とした能力の可能性がある。
これはボインゴのトト神と類似点があり、人命に関わる予知は特にひねりもなく的中する、悪用目的では歪んだ解釈での予知となるのが似通っている。
また、スタンドのダメージフィードバックが発生しない、この世の理に干渉する能力、神の領域に位置する可能性のあるスタンドといった共通要素も少なくない。
TVアニメ版において、アヌビス神のような本体自体が入れ替わるタイプのスタンドを除くと、初めて本体とスタンドの声優が別の人物になった(これまでは同一人物による兼ね役)。