ナウシカ とは
- 古代ギリシャの詩人ホロメース作の英雄叙事詩『オデュッセイア』の登場人物、スケリア島の王女の名前。
- 上記(1)からとられた宮崎駿原作の映画・漫画『風の谷のナウシカ』の主人公の名前。または作品タイトルの略称。
本項では(2)の主人公について解説。
人物
腐海に隣接する緑の自治国・「風の谷」の族長の娘。
清楚な雰囲気の漂う美少女であり、物腰も非常に丁寧で落ち着いている。その一方で、度々腐海の森にメーヴェに乗って探索に出かけたり、それに見合うだけの非常に高い運動能力(映画版の後半、王蟲を利用した谷への襲撃を知らせるべくブリックからメーヴェで脱出した後、コルベットとの追走劇を繰り広げるがその際にコルベットによる背後からの機銃掃射を全弾ノールックで避けるという動体視力?何ソレ美味しいの?的な離れ業をやってのけている)を有していたりと見かけによらず活発でオテンバな一面もある。
非常に心優しく領民からも慕われており、特に親しい子供たちからは「姫姉さま」の愛称で呼ばれてる。そして自身が守ろうとするもののためには、ときに自身の命を賭けたり、人質となることも厭わなかったりと、自己犠牲精神も強い。ただ、その優しさゆえに、落ち込むと悲観に囚われやすくなる心のもろさも持ち合わせている。
また、一度強い怒りに駆られると我を忘れてしまう一面もあり(作中では攻撃衝動に燃える王蟲のようと語られている)、序盤ではそれが原因で人を殺してしまった自分自身に恐れを抱き、以降戦いの中でも人を殺したくないという意識を強めていく。
のちに腐海に関わる国家間の戦争に多大な影響を与え、その収束に大きな役割を果たすこととなる。
原作と劇場版での性格の差異
原作の漫画版と、一般的な劇場版では性格に多少の差異がある。
劇場版では、純真な聖女の様に描かれており、特に命を奪うことに対して強い拒否反応を示している。
しかし原作では、序盤で(秘石探索の為に)谷に侵攻してきたトルメキアの真意を糾す為、父の代理としてその場へ出向いた際、蟲使いに辱められたことで怒りに火が付き、装甲兵と相対することに。その決闘では装甲兵の斧の一撃を長剣で受け止め、その反動を利用して前方宙返りで装甲兵の上へ飛び上がり、頭に着地する勢いを利用して装甲と首の隙間(延髄のあたり)にセラミック刀を突き立て、致命傷を負わせるという凄まじい身体能力を見せつけている。
ほかにもこうした言動は幾つか散見されるが、要するにいざという時には「谷を護るため」という風に割り切って部族間の紛争には介入できるぐらいの胆力があるように描かれている。
釈明しておくが、原作では劇場版以上に戦争というものを真っ向から描いており、土鬼との戦役勃発後は終盤まで鬱展開が続く為、むしろこのぐらい勇猛でなければやっていけないような場面に再三出くわすことになる。
そのため原作では聖女というより、どちらかといえば戦乙女か女神といった風格を得ていく。
劇場版では明言されていないが11人兄弟姉妹の末っ子であり、上10人は母の体に溜まった腐海の毒の胎内中毒により夭折している。そのため母親は唯一無事に生まれたナウシカを大切にこそしたが、兄姉達への自責からか愛情を示すことが出来ず、ナウシカは母性を知らずに育った。この経験はやがてオーマにつながっていく。
ちなみに彼女が身につけている赤いピアスは母親の形見である。
また、原作ではアスベルに想いを寄せられ、本人も大切な人と認識していたが、彼女らを取り巻く状況(というか世界そのものが)が愛だの恋だのと言っていられない厳しいものであった上にケチャやセルムの存在もあり、更には本人がどんどん人間離れしていった為、思いが成就することはなかった(宮崎駿いわく「くっつきそうだからあえて離した」)。時系列的には、ナウシカが(ケチャと出会った後の)アスベルに対して失恋した。アニメではケチャやセルムの存在がいない為、二人の関係は未知数である。(エンディングの描写を見た限りでは、友達以上恋人未満といった感じではある)
余談
劇場版公開時に「はいてない」疑惑が持ち上がったが、「厚手のタイツを履いている」事が判明している。
また、ジブリアニメのヒロインには珍しく肉付きがいいが、宮崎によると、死にゆく人々を受け止め抱擁する母性の象徴ということで大きく設定したのだそう。それゆえか、彼女のイラストには、全年齢、R-18問わず巨乳兵というタグが貼られているイラストが多い(後者はほぼ全作品に、このタグが貼られている)。
中の人が同じクラリス・ド・カリオストロとは顔立ちや髪形がそっくりであり(性格や体格は異なるが...)、姫君という生まれや、最終的に失恋するのも原作のナウシカと同じである。