概要
宮崎駿が監督するアニメ・漫画「風の谷のナウシカ」へ登場し、題名(タイトル)へも表記される小国。主人公・ナウシカの故郷でもある辺境国。
作中の主舞台になる一つ。豊かな風と緑から恵みを受かり、幸福な生活と歴史が営まれていたが……。
風を愛する国
人口は500人程の小国。国名へもあるように谷と、そこへ吹く風を活用した居住区を形成し、300年以上もの歴史を築いている辺境諸国の一つ。
海(汚染物質による酸性の死の海だが)からも近い位置にあり、海や谷の自然環境から生まれる風で、腐海と逆方向へ吹き付ける事象により猛毒の瘴気から守られている。
いわば自然の防波堤に助けられている国だが、それでも僅かに届く瘴気で国民は確実に蝕まれており、死産および四肢硬化になる病気の発症で死亡率はけっして低くない国事情もある。アニメ版でユパに名付け親になってもらった母親が「姫様のように丈夫に育って欲しい」と言っているのはこういった背景がある。
国産業には、風力を風車で動力としながら、中世レベルの農業と採取活動により成り立っている。また高度文明崩壊後の世界背景から、ガンシップやメーヴェ、銃火器などの機器設備も有る。
原作の城に風車はない為不明だが、映画は族長の住む城の大風車で地下500メルテ-作中における長さの単位、1メルテは1メートル程-から水をくみ上げる井戸の他、深さは不明だが谷中の小さな風車から地下水をくみ上げ、農業用水・飲料水へ利用されている。なお除菌が最重要の世界観もあって、汲み上げた水は人工の貯水池に引いて寝かし、沸騰させてから使用されている。
原作・映画共に井戸水で森を育み、この森によって貯水池(水源)を守ってきた。原作では500年・映画では300年もの歴史を築いていたが、両作品共に後述するトルメキアの騒動で混入した胞子から、原作では一本の木・映画では-既に瘴気を出し始めていた-森の木々に付着し焼き払う事件が起きてしまう。
それでも懸命に生きる逞しい国民性をみせる。
風の信仰と読む力
至る所で「風」を主要とした国立がされてるのもあって、原作・映画共に国民は風の神を信じ慕っている。前述した自然の防護を「海から吹く風様」と形容したり、窮地には「風の神様」と祈願する様子がみられる。
主人公・ナウシカといった素質ある者は、大気の流れ等を読む卓越者「風使い」がいる。原作の風使いは風を目で見る能力を発揮し、映画だと視力の詳細は不明だが感覚で風を捉える描写がみられる。
風を読む事で専用道具を用いて空を滑空する技術を発揮できる。ナウシカが使うメーヴェの燃焼機構(エンジン)で浮上して飛ぶ他、これを模した凧のような乗物で空を舞う人々-映画のエンディングでナウシカが子ども達へ空を飛ぶ指導の様子(※)など-が描写される。
※一見すると、谷の平和な日常を描いた穏やかなシーンのはずなのだが、冷静によく考えてみると、子供たちはメーヴェのように機体上部の操縦把を掴み、その間に渡したベルトで体を支えるなどしておらず、ナウシカが着陸や飛び降りからの滑空をする時に見せる、メーヴェの機体下部の着陸脚を掴んでぶら下がった(↑イラスト左)のと同じ状態で崖から飛び降りて滑空している。
つまり、着陸するまで己の腕力だけで己の全体重の負荷に耐えているのである。やはり、この黄昏の時代を生き抜くには子供でもその程度の体力がなければ話にならないのかもしれない。野暮なツッコミなのは承知の上だが、落下事故とか起きないのだろうか…?
強い団結力
原作・映画共にトルメキアの船が不時着する事件を始まりに、軍事国家・トルメキアと対立、トルメキアの船へ付着した胞子による国内汚染といった危機に国民は一致団結して立ち向かった(但し、トルメキアとの国家関係は原作とアニメでは大きく異なる)。また当時は病で伏す族長・ジルへ変わり、国民に心から慕われるジルの娘・ナウシカへ応えたい敬愛も併せて、作中では子どもから大人、老人たちまで生きようとする意志の強さを発揮する。中には諦めの色をみせる人がいても、周囲の人が諦めるなと励ます様子からも、心強い国民性が窺える。