概要
聖パトリキウス(387年?〜461年3月17日)、あるいは聖パトリックは、アイルランドにキリスト教を広めた修道士、司教(主教)。カトリック・聖公会・ルーテル教会・正教会で聖人とされる。アイルランドでのキリスト教の始祖として仰がれ、アイルランドの使徒と呼ばれる。聖コルンバ(コルム・キル)、聖ブリギッドとともに、アイルランド三守護聖人の筆頭格とされる。
生涯
パトリキウスの生涯については、同年代の史料は残されていない。パトリキウス自身が記述したと伝わる、わずかなラテン語文書と、200年以上後に書かれた年代記等からの推測、そして数多の民間伝承から読み取るほかない。
パトリキウスは387年頃、西ローマ帝国ブリタンニア属州、恐らく現在のイギリスグレートブリテン島ウェールズで、ケルト人(ローマ人とも)の家庭に生まれた。場所は「バナベム・タバニアイ(Bannavem Taburniae)」と伝わるが、それがどこにあたるのかは不明瞭。両親ともキリスト教徒であり、母は「詩篇」を教えた。
16歳でアイルランドの海賊に拉致され、アイルランドに奴隷として売られてしまう。アイルランド(恐らくは北アイルランドのアントリム県)で6年間羊飼いとして働き、ある時「アイルランドにキリスト教を広めなさい」という神の召命を聞く。『告白』と題する一人称で書かれた文書が残っている。み告げに従い牧場を脱走して、およそ300キロメートルを歩き、通りがかりの船に乗って、故郷のウェールズへ戻った。
その後、キリスト教神学を学ぶためヨーロッパ大陸へ渡り、ガリア(フランス)のレランやオセールの修道院で、修道士として、オセールのゲルマヌスらに師事し学んだ。
パトリキウスは、自分を奴隷として虐待したアイルランド人らに対する愛と伝道の使命を与えられたと家族らに話したが、反対を受けた。だが結局、ローマ司教チェレスティヌスから布教の命を受け、432年に宣教師・司教として再びアイルランドを訪れる。
ここでパトリキウスは、アイルランドの在来信仰を排斥するのではなく、キリスト教と在来信仰を融和させる形でキリスト教を布教したという。そのため、アイルランドでは以後一人の殉教者も出さず、急速にキリスト教が広まった。そして、アイルランドとスコットランドを中心とするブリテン諸島には、西方教会にありながらローマ・カトリック教会とは様々な点で異なり、初期には土着的特色のある信仰が育まれた。そのことは、太陽神信仰の名残とも考えられる、十字架に円環を組み合わせたハイクロスに象徴される。
パトリキウスについてはいくつもの伝承が語られており、そのうち最も有名なものは、三つ葉のクローバーに似たシャムロックの葉を手にして「三位一体」の教義を説いたというもので、シャムロックはパトリキウスのシンボル、またアイルランドのシンボルともなっている。
これも、在来信仰において「3」という数字が神聖視されていたことや、ケルト神話の「三組神」信仰がベースにあったため、アイルランド人にとって受け入れやすいモチーフであった。
444年、アルスター地方のアーマー(現イギリス領北アイルランド南部、アーマー県)に布教活動拠点となる教会を建てたと伝わり、「全アイルランドの司教のトップ」たるアーマー大司教の初代とされる。
パトリキウスは、キリスト教の伝道のためにアイルランドへ行った最初の人物でも、唯一の人物でもなかったが、本格的なキリスト教の歴史開始の象徴となっている。彼は365の教会を建て、12万人が改宗し、2000人の司祭、200人の司教を叙階したと伝えられている。
多くの場合、司教を修道院長、司祭を修道士として、教会と修道院が密接に結びついた組織体系を築いたが、これは以後のアイルランドの特徴となった。
パトリック伝説
- アイルランドにヘビがいないのは、パトリキウスが有害な動物を追い出したからだという伝説がある。かつてアイルランド南部のキラーニーのそばの湖に賢いヘビがおり、パトリキウスはそのヘビと交渉し、箱のなかに閉じ込めて湖の中に投げ捨てたという物語がある。
- ケルト神話の神官・ドルイドと法力対決をして、パトリキウスは奇跡により彼やアイルランド上王を負かしたという。
- 461年、パトリキウスは臨終の際、友人や信者に「私のことは悲しまず、天国へ行く私のために祝って欲しい、そして心の痛みを和らげるよう、何かの雫を飲むように」と言葉を残した。そのためアイルランドではウイスキーが好まれるようになったという。
聖パトリックデー
毎年聖パトリックの命日である3月17日には聖パトリックデーが催される。特にアメリカでは世俗化・一般化して広く普及し、カトリック信徒やアイルランド系移民でない者でも、シャムロックの色でありアイルランドのシンボルカラーでもある緑の服を着るなどして、街頭パレードやパブでのライブを伴うこの行事に参加する人も多い。
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表記揺れ
参考リンク
- ウィキペディア