ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ヘリンボーン(競走馬)

へりんぼーん

イギリス生産・調教の競走馬・繁殖牝馬。戦時中に開催された代替GⅠレース2つに勝利した。
目次 [非表示]

概要編集

イギリス生産・調教の競走馬繁殖牝馬

主な勝ち鞍はニュー1000ギニー(1943年)、ニューセントレジャー(1943年)で、第二次世界大戦中にニューマーケット競馬場で開催された代替GⅠレースであった。


プロフィール編集


略歴編集

1940年

第17代ダービー伯爵(エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリー)が所有するニューマーケットの競走馬飼育場「スタンリー・ハウス」で誕生。

父・キングサーモンはザテトラークの孫で、コロネーションカップ(1934年)やエクリプスステークス(1934年)を勝ち、ヘリンボーンが生まれた後にブラジル種牡馬として輸出された。

母・スキャパレッリは繁殖牝馬としてヘリンボーンを含む7頭の重賞勝馬を輩出した。

離乳後はダービー伯爵専属のウォルター・アール調教師(ニューマーケット競馬場)に預けられ、調教が積まれた。


1942年

競走馬としてデビュー。5戦して2勝。


1943年

5戦して2勝。代替GⅠレースのニュー1000ギニーとニューセントレジャーに勝利した。ニューセントレジャーではリボンナスルーラを破ったが、他馬の前に割り入って進路を妨害する場面があり、審議の結果着順変更なしとなったが、降着にするべきだったという意見も多かった。


1944年

競走馬を引退し、「スタンリー・ハウス」で繁殖牝馬となる。ドッガーバンクエンテンテコルディアーレなど8頭の重賞勝馬を輩出した他、ハイランダーベネズエラで種牡馬として活躍し、ピンストライプムーンマッドネスムーンパレードシェリフズスター※等の牝系の祖となった。

※シェリフズスターはセイウンスカイの父。


1961年

9月、死亡(21歳)。


関連タグ編集

43世代 競走馬 繁殖牝馬

関連記事

親記事

43世代 よんじゅうさんせだい

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました