ホーエンハイム・エルリック
ほーえんはいむえるりっく
CV:江原正士
※ネタバレ注意
漫画『鋼の錬金術師』を原作とした2003年版のテレビアニメ(通称「旧鋼」)に登場。同作における主人公であるエルリック兄弟の父親である。
通称『光のホーエンハイム』。
原作の『ヴァン・ホーエンハイム』と基本設定は同じだが、内面や辿ってきた過去などは異なる。なお、こちらは記事タイトルの通り、名前がホーエンハイム、姓がエルリックになっている。
外見上は、髪型が微妙に異なることや、毛の色がやや濃い点が異なる。
賢者の石の力で他者の身体を乗っ取り生き続けてきた人間。
賢者の石の錬成に成功するもリバウンドで死に瀕するが、ダンテの機転により屋敷の使用人にホーエンハイムの魂を移すことに成功。それを期に二人は長く生きらえることになる。
人の身体を乗っ取ることに何の躊躇いもないダンテと異なり、ホーエンハイムは罪悪感に苛まれており、やがて彼女の元から姿を消す原因の一つともなっている。
ダンテとの間に儲けた子供が水銀中毒で死に、人体錬成をしようとして失敗。その際造られたホムンクルスがエンヴィーである。
つまり旧鋼においてはエルリック兄弟の父であり、同時にエンヴィーの父でもある。
ダンテの元を去った後にトリシャと出会い一目惚れし、結婚。
しかし400年を生き続けてきた彼の身体は、乗り移る度に魂が劣化しており、その反動から身体が腐り始めている。それを隠すために香水を付けている。
当然トリシャはそれを目の当たりにするわけだが、そのことを知りながらもホーエンハイムを愛し続けていた(原作以上に夫への依存が強いという描写になっている理由付けにもなっている)。
それでもなお身体の腐敗に耐え切れず、家族に朽ちゆく姿を見せることを憂い失踪した。
原作ではトリシャ一筋だったが、旧鋼では籍は入れてないとはいえ前妻がいる。
それ以外にも、マリア・ロスを口説く、ウィンリィの母サラ・ロックベルの面影があるウィンリィに声をかけナンパと誤解されるなど、本人に悪気はないが女性にはだらしない性格になっている。
だが本質的には家族を大切に思っていることは変わらず、後半は息子達のために奔走する。
しかし当人は良かれと思ったことが尽く裏目に出てしまっているという、報われない人でもある。
最終回から劇場版にかけては、現実世界に飛ばされてしまう。そして、劇場版では同じく飛んできたエドワードを故郷である錬金術の世界に戻すため、自分の命と怪物化したエンヴィーを対価に門を錬成し、消滅した。
原作では評価が高いキャラクターである元キャラのヴァン・ホーエンハイムとは対照的に奔放な性格が災いして、こちらのホーエンハイムは評価が低い。
そもそも多数の人間を犠牲にして賢者の石を錬成した事(クセルクセスの件もこいつの仕業である事が示唆されている)や、それを使って他人の体を奪って渡り歩きながら生きてきた事、さらにはダンテやエンヴィーを最終的には捨てた事等々、本人が自らを「罪人」と評していた通り、やってきた事を挙げれば枚挙に暇がなく、むしろ原作の「お父様」と同じような所業も行った同レベルの全ての元凶である(本作では原作のお父様の「賢者の石を作り永遠に等しい命を手にした」という要素をホーエンハイムが、「ホムンクルス達の指導者」という要素をダンテがそれぞれ担っていると言える)。ダンテやエンヴィーが歪んだのも元を正せばこいつのせいである。
他にも劇場版ではエドだけでなくアルまで現実世界行きになってしまったこともあり、結果として余計に息子達に迷惑をかけてしまってもいる(兄弟2人は前向きではあったが)。
このように書けば、こちらがファンからも酷評される理由は分かるだろう。
こうなった理由は、旧鋼の制作中はホーエンハイムの設定が殆ど明らかになっておらず、オリジナル要素を多分に含んで補足するしかないという状況だった為。全ては企画が早すぎた故の弊害だった。
勘違いされやすいが、トリシャやエルリック兄弟に対する愛情自体は本物であり、不器用にも程があるとはいえ、彼なりに贖罪など行おうと必死になっていたのは窺える。
その結果として、友人のマジハールと同様にやることなすことほとんどが悪い方向に向かってしまったのは、なんとも皮肉なものである。