概要
数多くの難事件を取り扱う『相棒』シリーズの中でも特に反響の大きかった回。
ごく普通の生活をしていたある男が、理不尽な社会によって転落していく様を描いた物語である。
事件
12月のある日、柴田という男の転落死体が発見される。腕には刃物による防御創が残されていたことから何者かによる殺人と疑われた。
しかし検死の際、胃の中から数の子・ワカメ・牛肉といった統一感のない食品が出てきたことに興味を抱いた右京と尊は、独自に捜査を開始する。
柴田が以前住んでいたアパートの管理人によれば、彼は今年の1月に寮付きの仕事が決まり引っ越したという。以後11ヶ月の行方は杳として知れず、右京たちは生前の足取りを追う。彼の携帯には死ぬ直前までの行動と日時が毎日記録されており、これが何の意味を持つのか、さらに疑問が深まっていく。
捜査によって判明する、苦窮に立たされた一人の男の日々。
彼は誰に、なぜ殺されたのか?そして「空白の11ヶ月」とは何なのか?
その真実が明らかになった時、事件はあまりにも残酷な結末を迎える。
真実
柴田の死は自殺であり、腕にあった防御創も彼自身が付けたものであった。
しかし、彼はなぜ死を選んだのだろうか。
派遣社員として勤めていた会社では来月から正社員となる予定であり、結婚を前提とした交際相手もおり、一見何の問題もない平穏な生活を送っているように思えた。
だが、その裏には人間の欲望、周囲の不理解、そして理不尽な社会に振り回された苦悩の爪痕が深く刻まれていたのだ。
事の経緯
事件の一年前、柴田はとあるイベント会社に派遣社員として勤務していた。
しかし不景気で仕事が減ったことを理由に派遣切りされ、その代わりにと上司から紹介された寮付きの建設会社に再就職したことが転落の始まりだった。
そこは派遣切りされた人間たちの墓場。寮付きは宿無しを集めるための真っ赤な嘘、日当は僅か7700円、さらに仕事道具の貸し出し料と現場までの交通費まで取られるも、ここ以外に行く宛のない彼らには反抗などできない。
実はこの建設会社は他社の切り捨てたい派遣社員を引き取り、ロクに仕事もさせず一定期間雇い終えると一方的にクビにするという派遣切りのための偽装請負会社だった。
そして、柴田が雇われていた期間も僅か1ヶ月程度であり、イベント会社はこの実態を知った上で、柴田を体よく解雇するためここを紹介したのだ。(※後にこの建設会社の社長は労働基準法違反容疑で逮捕された)
寮住みになるということでアパートを引き払った柴田は結果として家と職を失ってしまい、ネットカフェに寝泊まりしながらかつて取得した医療事務資格をもとに就職活動を行うも、今まで実務経験が無かったことに加え、どの企業も倍率50倍という競争率で面接にも至らなかった。
そんな落ちぶれた姿を見た恋人は今後の生活が不安定になると予期し、柴田に「あなたは価値が無いと判断された」と告げて別れを切り出す。
実家にも援助を求めたが、自分の家族や年老いた両親の介護で疲弊していた実兄にとってはとても面倒見きれず、遂には「それはお前がだらしないからだ!」と働けないのは自分自身のせいだと一喝して弟を突き放した。
追い込まれた柴田はついに生活保護の申請を決意するも、生活保護費削減の行政方針に従ったハローワーク担当職員に言い包められてしまい、申請そのものが成されないまま、求人サイトを紹介されただけで終わってしまった。
(この対応に対して右京はあなたの方針は間違っていると指摘する。しかし、神戸曰く仮に申請できたとしても年齢や実家や頼れる親族もいる観点から、結果的に申請は不可能だったと推定した)
捜査を続ける右京らは、柴田の携帯の履歴から彼が古物商の資格を持っていたことを明らかにする。しかも現在も営業中だという。実際に右京らが訪れるとそこには柴田の名を騙った男が営業しており、商品の殆どが盗品物ばかりだった。男は有印私文書偽造容疑で逮捕された。
実は柴田は名義貸しを行っており、柴田の名義を騙っていた盗品売りの男によれば、資格保持者は誰でもよく、たまたま金の無さそうな柴田を利用しただけとのことで、10万円と資格取得までの衣食住の保証を引き換えに名義貸しを持ちかけたという。さらに柴田は古物商の申請が通ったことで貸しコンテナを借り、度々その中で寝泊まりしていた。
(しかし、この行為に対して右京本人はいくら困窮していても犯罪をしてまででお金を得ていいという理由にはならないとこれだけは柴田の行為を批判していた)
以後、10万円と引き換えに連帯保証人や偽装結婚などありとあらゆる名義貸しを行いながら、その金を生活費と就職活動費に充てる日々を過ごす柴田。しかし個人の名義貸しには限界があり、とうとう貸主にも「お前の名前にもう価値は無い」と切り捨てられてしまう。
不採用続きの就職活動、頼れる人間のいない孤独、申請すらできない生活保護、不可能となった名義貸し。
次第に追い詰められ、心身ともに摩耗していく柴田。加えて貸しコンテナを寝床としていたことも露見し、契約違反として解約されてしまう。
手元の金も底を尽きた彼は、以後ただその日その日を生き抜くことで手一杯となる。スーパーや商店街の試供品や試食品を食べ回って空腹を凌ぎ、無料の休憩スペースを転々とする毎日。
携帯に場所を日時を記録していたのは、店員や客に自分の顔を可能な限り覚えられないようにするため。胃の中の内容物に統一感がないのもこれが理由だった。
しかし、そんな日々にも終わりが来る。
柴田の死亡当日。
旧居であるアパート近くのパン屋で、柴田は店員から声をかけられた。
「いつもどうも。
気に入ったら、買って下さいね。」
店員曰く、試食ばかりで買いもしない柴田を冷やかしだと思い、意地悪半分で言ったという。
(本来、試食というのはお客に商品を買わせるためのパフォーマンスであり、店員側に非はない)
しかしそれは、彼にとって禁句であった。
思わず店員から試食品をすべて奪い取り、逃げ出してしまう柴田。
だが、その先で目撃したものが絶望の淵まで追い込まれた彼を奈落の底へと叩き落とすのであった。
それは、かつて自分が住んでいたアパートに新しい住人が入る光景。
これまでの就職活動は全て、旧住所から郵便物を私書箱に転送し、住所があるように見せかけることで行っていた。だが、そこに別の住人が来てしまえば、その手が使えなくなるどころか日雇い労働すらもまともに出来なくなってしまう。つまり、居住所を失った時点で就職活動は遂に出来なくなったのだ。
仮に住民票を実家の住所として使用するにしても実兄からは絶縁同然の身である為、使わせてくれるはずは無く、仮に無断で使用すればそれは歴とした詐称となる為、同然応募申請は無効となる。
正社員を約束していた会社に裏切られ、その会社と結託していた業者に弄ばれ、信頼していた恋人や家族からも見放され、苦労して手に入れた資格も役に立たず、福祉にも見捨てられ、名義貸しという犯罪に手を染めながらの就職活動も空振りに終わり、無価値と断じられた彼の数少ない居場所も心の拠り所も失われた……。
家も人も金も尊厳も、全てを失った彼にはもはや生きる気力は無かった。
その夜、柴田は偽装した刃物による防御創を自らの腕に刻むと、ビルの屋上から人知れず身を投げた……。
これが空白の11ヶ月の真実だった。
結末
真実を右京から告げられた柴田の兄は言葉を失い愕然とする。右京は「医療事務の知識を用いて防御創を偽装し、自殺を図ったのは自分は“社会”に殺されのだと訴えたかったのかもしれない、自殺を他殺に見せかけたのもそれだけ社会を恨んでいたのだろう」と推測した。
続けて右京は「周りの人間も、そして彼自身も、手を差し出す勇気が無かった。もしどちらかが本気で手を差し出していたら、このような悲劇が起きる事はなかった」と論し、誰かが一人でも彼と本気で接することが出来たらまた、新たな人生を見つけられたかも知れないのにもかかわらず、結局は兄を含めた全員が自分の事しか考えられなかった事実に落胆し、誰の助けも得られず、孤独な死を遂げた男を哀れんだ。
堕ちるところまで堕ちた人間は、窃盗・強盗・殺人等の凶悪犯罪に手を染めるのが成れの果てであるが、他人に迷惑をかけたくなかった柴田はその誠実さでどうにか踏み止まっていた。しかしそんな彼を必要としてくれる者は無く、自分は本当に価値の無い人間なんだと思い込んでしまったのが運の尽きであった。
どうしようもない無念と遣る瀬なさを抱えながら、右京と尊は静かにその場を去って行くのだった……。
反響
相棒の中でも後味の悪い結末を迎える事件の一つであり、特にこの話は誰もが幸せになることなく、ただ社会の闇を目の当たりにさせて終結するという救いのない内容となっている。
放送終了後にはインターネットや現代社会から大きな波紋を呼び、当時就職活動中の若者や就職活動中の子どもを持った親から「他人事とは思えない」という声が多数寄せられた。ブログやTwitterなどでもこの話に対する反響が寄せられ、その殆どが柴田に自分を重ね、柴田に明日の自分を見て、身につまされる思いをしたというものだった。
米沢守役を演じた六角精児も「長いこと『相棒』に携わってきたが、こんな『しみったれた』話ははじめてだ」とコメントしており、同じく柴田役を演じた山本浩司も「たとえフィクションであったとしても、現実で自分がいつこのような状況になってもおかしくない」とコメントしている。
事実、柴田のような契約社員による雇い止めや悪徳建設による偽装請負、生活保護の水際作戦、名義貸しなどは実際に起きていることであるし、例え民間資格を持っていたとしても、それが業界で持っていて当たり前のものであれば、全く役に立たないのも無理はない。
また、柴田を追い込んだものの中に、兄や恋人といった彼の身内や近しい人間がいる。
『就職して働いていることを努力のスタートライン』と定め、『就活やその苦労の時点では努力していないと言う偏見』によって、柴田は孤独と絶望に堕とされてしまった。
結局、柴田は兄に突き放されて以降死んでも実家を頼ることはなく、見方によっては兄の言葉を歪んだ形で、自殺してでも守ったとも言える。
不景気による経営悪化やリストラ、少子高齢化、さらにはこの状況を利用してやろうという悪人たちに若者が振り回される様を描いており、それでも周囲の人々と助け合いながら、歯を食い縛ってでも生きていくことを望んで欲しいという思いが綴られたエピソードなのかもしれない。
余談
season11の第5話「ID」で登場した滝浪正輝も柴田と似たような人生を歩んでいたが、人との繋がりがあったおかげで柴田とは真逆の結末を迎えている。
柴田を演じた山本浩司氏は後にseason19 第3話「目利き」で別役としてゲスト出演している。
関連タグ
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