参考資料 青い目の人形物語
プロフィール
性別 | おそらく設定上は女性 |
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誕生日 | 不明 ※浜岡北小学校では学校に来た4月16日を「マーベル・ワレンの日」としている |
出身地 | アメリカ合衆国ロードアイランド州ブリストル郡ウォーレン(Warren,R.I. U.S.A.) |
身長 | 36.5cm(人形の大きさ) |
体重 | 0.73kg(人形の重さ) |
好きなもの | ハンバーグ |
嫌いなもの | 年齢を詮索されること、さん付け |
人物
御前崎分屯基地で活躍する14体のイメージキャラクターのうちの1人で、幼い女の子の人形の姿をしているが、経歴上(後述)戦争を経験しており、平和を願っている。
公式Xではワレンちゃんのメイン回?があり、好物がハンバーグであることが判明した。
これは自分が食べるわけではなく(人形なので食べられない)、かつて児童たちが肉料理(クジラの竜田揚げなど)が給食に出て大喜びしていた楽しい思い出が甦るからとのこと。
例えとして出てきた料理が古すぎるためふーたくんに「さん」付けで年齢をツッコまれたが、「人形は歳をとりません!(さん付けもダメです)」と怒っている。
経歴(青い目の人形「マーベル・ワレン」について)
彼女のモチーフになった青い目の人形「マーベル・ワレン」は、かつて大日本帝国とアメリカ合衆国が対中国大陸政策やアメリカ本土での日系人労働者問題で日に日に対立を強めていた1920年代、「世界の平和は子供から」をスローガンにギューリック博士を中心としたグループが「友情人形」のプロジェクトとして日本に贈呈した人形の1体である。
日本の子供が主役となるイベントである3月3日の雛祭りに合わせ、アメリカでは子供たちを中心に延べ270万人を動員して人形の調達や洋服の縫製作業が行われ「雛祭りを見学する」名目で計12739体の人形が1927年の3月3日に日本に「訪問」し、皇室にも献上されたほか各地の教育機関に贈呈された。贈呈の際には1体1体に名前の書かれたパスポートや切符を持たせ、実際に本物の人間が来るのと同様の手続きが取られている。
そして「マーベル・ワレン」は1927年4月16日に当時の朝比奈尋常高等小学校(統廃合により現:浜岡北小学校)に贈呈され、専用の箱に入れられ展示された。
日本ではギューリック博士と親交のあった渋沢栄一が率いる団体がこのプロジェクトに対応し、人形の輸入や国内での輸送にかかる費用等を負担。そして「青い目の人形」が「単なる人形ではなく本当に生命を持った使者」として日本に派遣されたことに対して答礼人形を贈ることが「美しい礼儀」であることを示すため、一級品の衣装を身に着けた市松人形58体を調達し、クリスマスに合わせる形で贈呈している。
※当時の日本の国力と財政状況では1万体以上の人形をそろえるのは難しかったため、製造数を58体に抑える代わりに本体の製造を人間国宝レベルの職人が担当し、高級百貨店が調達した和服と帯を着せ、両国の職人が制作した足袋を履かせるなど徹底的に質にこだわり、製造コストは当時の大卒初任給が50円の時代に1体350円、なんと現在の価値で約140万円程度とされる。
しかし、民間レベルでの活動もむなしく二国間関係は悪化の一途をたどり、1939年には太平洋戦争(日本側では大東亜戦争)に突入してしまう。この際、全国各地で保管されていた青い目の人形も「敵国の人形だから」という理由で各地で破壊されてしまった。中には射撃訓練の的にされたり暴行を受けた人形もあったといわれる。
「マーベル・ワレン」も処分命令が下るものの、当時の用務員とその息子が機転を利かせ、人形を箱ごと布にくるみ、飼育小屋の藁の中に隠すことで処分を免れる。
なお、戦争時の処分以外にも、空襲被害や経年劣化、人形が来た経緯が正しく伝承されずに破棄されてしまった例があり、2023年6月時点で現存しているのは345体(うち静岡県は5体)のみとされる。
戦後再び日の目を見た「マーベル・ワレン」は、子供たちに平和の尊さを伝える役割を果たし、2008年12月には御前崎市の指定文化財に指定されると同時に管理維持が市の教育委員会に移管され、現在は市立図書館で以前と変わらぬ役割を果たし続けている。
人形としての特徴
上述の通り雛祭りに合わせる形で作られた幼い女の子の人形である。(今でいう幼稚園児や小学生が世話をすることが想定されているため設定年齢はおそらく2歳~3歳ぐらい?)
子供たちが感情移入しやすいよう、現在のポポちゃん人形と同様の瞼の開閉ギミック、「ママー」としゃべる発声ギミックまで備えている。「青い目(瞳)の人形」と言われるが、瞳の色は青ではない(後述)。なお元々なのか経年劣化によるものかは不明。
服装は色あせているものの概ねキャラクターのワレンちゃんと同じボンボン付きの青い帽子に大きなポケット付きの青いコートで、ポケットには旅券が入っていた。
旅券には「アメリカ合衆国ロードアイランド州ウォーレン(Warren,R.I. U.S.A.)から東京までの鉄道と汽船の1回分の運賃が適用されます」という英文があるのが確認でき、ここから「マーベル・ワレン」の本来の名前の由来と出身地が分かる。
2022年には静岡文化財研究所により、経年劣化による色あせ等を損ねない範囲で修繕が行われており、今後も大切に保管される予定である。
その他
「青い目の人形」の呼称は人形訪問の6年前、1921年に作られた童謡「青い眼の人形」にちなんだ日本独自のもので、アメリカ側では「友情人形(Friendship dolls)」「人形使節(Ambassador dolls)」と呼ばれていた。そのため青い瞳ではない人形を贈呈された地域も多い。
青い目の人形のお礼として日本から送られた答礼人形58体は都道府県にちなんだ名前が付けられているが、静岡の答礼人形は「富士山三保子」の名前で現在はミズーリ州カンザスシティのカンザスシティ博物館に収蔵されている。2016年には修繕のため静岡に里帰りを果たし、静岡県各地で巡回展示された。