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中国バス

ちゅうごくばす

福山市をはじめ、広島県東部を運行エリアとする両備グループの乗合バス・貸切バス事業者。ここでは旧・尾道鉄道についても説明する。
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もしかして→中国JRバス



概要

本社を広島県福山市多治米町6丁目に構え、広島県東部のいわゆる備後地方を主要エリアとする企業。現法人は2代目で、法人登記の上では2006年12月に両備バス(現・両備ホールディングス)の100%子会社として新たに設立された会社となっている。


その源流は1918年に設立された「尾道鉄道」(後述)と、1931年3月に設立された「新市自動車」(後に「ニコニコバス」に改称)で、1970年2月の両者の合併に際し、旧・ニコニコバスを存続企業として「中国バス」(初代)となる。この旧・中国バスは、近畿日本鉄道を筆頭株主にしていた。


1980年代後半から1990年代前半にかけて、高速道路網の発達と国鉄分割民営化による旧国鉄(→JR西日本)の影響力低下により、全国的に都市間高速バス開業ブームとなったとき、中国バスも1990年に高速バス路線を積極的に開設。東京・大阪への高速バス路線(三原・尾道・福山〜東京、三次〜大阪)は運行していたが、県都の広島市とを結ぶ高速バス「ローズライナー」の路線開設で中心的な役割を果たし成功を収めてからは、広島交通などとともに備後地域〜広島市間の高速路線バスの開設を積極的に進めていった。

ところが、高速バス路線用に必要な大型バス購入資金の借入金利や減価償却費負担が膨らみ、会社全体では赤字基調に陥り、車両整備が行き届かなくなったために故障発生率が高く、高速バス「メイプルハーバー」の火災事故などにつながった。さらに資金繰りの行き詰まりもあって、2006年6月から整理回収機構の「企業再生スキーム」を利用した私的再生手続を始める。

ここで手を差し伸べたのが、隣の岡山県を営業基盤とする両備グループであった。


そして両備グループのもとで、新法人である「株式会社中国バス」(現法人)を2006年10月16日に会社登記、同年12月1日に設立し、同年12月22日付で旧・中国バスから一切の事業が譲渡され、中国商事など旧・中国バスの関連子会社も両備グループ入りする。現法人による事業開始直前には、両備バスから整備スタッフが派遣され、車両の総点検が行われると同時に、車両点検整備の基準も両備グループ基準に改められた。


なお旧・中国バスは、2007年3月の破産手続開始後、2010年10月19日付で法人格が消滅。尾道鉄道創立から数えること92年の歴史に幕を閉じた。


バス事業

現在の営業所は福山営業所、府中営業所、尾道営業所、甲山営業所、広島高速営業所、および岡山県の笠岡貸切営業所である。


一般路線バス

前述の通り備後地方に展開。2017年度からは、主要ターミナルである福山駅尾道駅三原駅府中駅を発着する路線において、鞆鉄道およびおのみちバスと共に路線番号を導入。これらの駅の乗り場番号を10位として付番している。この付番法則は中国地方独自のものだが、下津井電鉄・両備バスの倉敷駅発着路線、サンデン交通下関駅発着路線などでも採用実績がある。


高速バス

夜行便

  • エトワールセト号 (三原・尾道・御調・福山 - 新宿)
    • 3列シート・トイレ付きのスーパーハイデッカー車で運行。
  • メイプルハーバー (広島・東広島・福山 - 横浜)
    • 3列シート・トイレ付きのスーパーハイデッカー車で運行。
  • ドリームスリーパー Superior Class (広島・福山 - 東京ドームホテル・大崎駅)
    • 専用塗装の三菱ふそう・エアロエース、全11席の車両で運行。

昼行便

  • びんごライナー (府中または尾道・福山 - 大阪)
  • みよしワインライナー(三次 - 新大阪)
  • 神戸ライナー (甲山・尾道または府中・福山 - 神戸三宮)
  • しまなみライナー (福山 - 今治)
  • キララエクスプレス (福山・尾道 - 松山)
  • ローズライナー (広島 - 福山)
  • リードライナー (府中・御調 - 広島)
  • ピースライナー (甲奴・上下・甲山・久井 - 広島)
  • フラワーライナー (因島・尾道 - 広島)
  • シトラスライナー (因島 - 福山)
  • カブトガニ号 (神辺・井原・笠岡 - 大阪)- 2012年11月1日より運行。もと井笠鉄道
  • きんさいライナー (福山 - 三次)※2018年8月17日より運行

広島空港リムジン

山陽道経由の「エアポートリムジン」として福山〜広島空港線を運行するほか、下道経由による三原〜広島空港線もある。


車両

国産4メーカーすべてを導入するが、両備グループ入りしてからは三菱ふそう車の比率が増している。旧日産ディーゼル車は東急バス西武バスなどからの移籍車のみ。

初代中国バスでは、いすゞ自動車日野自動車が中心で、これらに三菱ふそうが加わる構成となっていた。


尾道鉄道線(現廃止)

最盛期の路線距離(営業キロ)は17.1km、直流600V電化、軌間:1067mmで、駅数は18駅があった。

1925年11月1日に西尾道〜石畦間で開業。翌1926年4月28日に市(いち)駅に伸び、さらに1933年3月28日には西尾道〜尾道間も延伸され、省線尾道駅と連絡する。市駅へは、1つ海側の諸原駅でスイッチバックして乗り入れていた、

この間、1930年に全額出資子会社の尾三自動車(かつて愛知県に存在した同名のバス会社とは無関係)を設立し、路線バス事業にも参入、1941年に合併した。

しかし並行する国道184号線の改良の結果、利用客がバスに流れていき、1951年度から1956年度の間、鉄道部門の赤字をバス部門の利益でカバーするという状況が続き、実に収入の8割以上がバス部門によるものだったという。1957年2月3日に石畦〜市間を廃止したが、抜本的な経営改善とはならず、末期には、乗客数に占める通学定期客数の割合が全体の70から75%にも上った。

最終的に1964年8月1日付で鉄道事業を廃止し、バス専業へと転換。6年後にニコニコバスとの合併により中国バスに社名変更したのは前述の通りである。


略称は「尾鉄」だが、石川県にかつて存在した非電化軽便鉄道尾小屋鉄道(小松バスを経て現・北鉄加賀バス)も同様の略称を使用していた。


車両

尾道鉄道では、電動車に「デキ」(デンドウキャクシャの略)、制御車・付随車に「キ」の記号を使用した。廃線時には電動車7両、付随車3両が在籍していたものの、他社へ譲渡された車両はない。


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芸陽バス···西隣のバス会社。

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