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丸物

まるぶつ

かつて存在した百貨店チェーン。後の京都近鉄百貨店、現・近鉄百貨店。
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丸物(まるぶつ)は、かつて全国展開した百貨店である。本社・本店は京都市下京区の京都駅前にあった。丸物の法人格は、株式会社近鉄百貨店が引き継いでいる。


概要編集

創業編集

呉服店の長男・中林仁一郎(なかばやし・にいちろう)が1920年1月、京都駅前で東本願寺から借りた土地に土産物屋「京都物産館」を開業。弟で浜松の百貨店「松菱」を後に創業する谷政二郎(たに・まさじろう、養子に行っていた)と共に東本願寺に何日も通いとおし、許可が出たという。

同年2月に合名会社を設立。1930年には岐阜市・柳ヶ瀬に支店を開店した。

「物産館」の「物」を丸で囲んだマークから丸物(まるぶつ)と呼ばれていたので、1931年に9月に合名会社丸物に改称、そして同月29日に株式会社に改め、その後豊橋に進出した。

本店は京都駅前にあることを意識し「FRONT KYOTO まるぶつ」のキャッチコピーが掲げられた。

全国展開編集

丸物はそごうなどに先駆けて全国展開を行った。1954年に戦災で焼失した九州百貨店からの救済要請に応じて、八幡丸物を開業した。

1954年にパルコの前身である池袋ステーションビル株式会社に出資し、1955年に新宿ストアーを買収して新宿丸物を開業、1957年12月には池袋駅東京丸物を開業している。京都の土産物屋が一代で東京にも店を構える百貨店になった。

ところが、これらの店はうまくいかなかった。新宿丸物はストリップ劇場の「新宿ミュージックホール」を追い出せずに営業したために売上が低迷し、1965年に閉店した。池袋駅の東京丸物も西武百貨店や国鉄池袋駅に囲まれて拡張できない狭い店だったなど、ハンデを背負った出店のために売上が低迷し、1969年に閉店した。閉店後、株式会社東京丸物は株式会社パルコに改められ、11月26日にパルコが開業した。

1969年には八幡丸物も閉店し、1972年には豊橋丸物も西武百貨店に売却したので、京都と岐阜の2店舗体制に戻った。

安物イメージ編集

丸物は八ッ橋など京都の土産物を売る土産物屋として生まれたこと、「活端市(かっぱいち、今のアウトレット販売)」のようなセールばかりやっていたことなどが理由でどこへ出店しても「安物」のイメージがついてしまい、他の百貨店に客が流れてしまった。新宿や枚方でセールをやっていた写真が残っているほか、かつて丸物を利用した京都市民も他人への贈り物は大丸や髙島屋を使う人が多かった。なお、岐阜だけは最初にできた百貨店だったので老舗だと言われていた。

近鉄グループ入り編集

創業者の死後、伊藤忠商事との提携に失敗し、1966年に近畿日本鉄道の出資を受けた。

先述のように多くの店を閉めた一方、1975年に京阪枚方市駅前に枚方丸物を開業、1977年には株式会社丸物が株式会社京都近鉄百貨店(京都近鉄)となり、株式会社枚方丸物は株式会社枚方近鉄百貨店に商号を変更し、「丸物」の名前が消滅した。そして「FRONT KYOTO」のキャッチコピーも使われなくなった。もっとも岐阜店は「京都近鉄百貨店岐阜店」では長ったらしいので、「岐阜近鉄百貨店」「岐阜近鉄」と呼ばれており、日本経済新聞では「本社・岐阜市」と間違えたこともあった。

以降しばらくは経営も順調で、「近鉄百貨店」「東京近鉄百貨店(吉祥寺近鉄)」などの近鉄グループの百貨店では唯一株主上場を続けた。京都府岐阜県滋賀県にギフトショップを多数展開し、1997年9月には草津駅前に子会社が運営する草津近鉄百貨店を開業している。

大きな誤算編集

1997年には京都駅にジェイアール京都伊勢丹が完成した。京都近鉄百貨店の社長らは駅ビルの利用客がついでに京都店に来店することを期待し、2年前に店のサイズを拡大していた。しかし、観光客らは駅ビルから外に出ないので目論見は失敗した。岐阜店もろとも赤字転落した。1998年に株式会社枚方近鉄百貨店が近鉄百貨店に合併され、近鉄百貨店枚方店になることで近鉄百貨店の基盤強化が図られた。1999年のゴールデンウィーク前後には京都近鉄百貨店岐阜店の閉店を発表。岐阜駅への移転などを交渉していた地元は猛反発したが、予定通り1999年9月末には岐阜店が閉店し、柳ヶ瀬の衰退が進むことになった。

2000年3月には京都店をショッピングモール「プラッツ近鉄」に改め、巨大な無印良品ソフマップ、旭屋書店を入居させ、ジェイアール京都伊勢丹との差別化を図った。しかし、これも黒字化できず、いよいよ大阪証券取引所への上場継続は困難になった。

近鉄百貨店との合併編集

2001年に旧株式会社近鉄百貨店合併。非上場企業の株式会社近鉄百貨店が上場企業の株式会社京都近鉄百貨店を救済するための逆さ合併となったので、社長(田中太郎氏)や本社(大阪市阿倍野区)は「近鉄百貨店」、創業年や上場企業の立場など法人格は規模が小さい「京都近鉄百貨店」を引き継いだ。

2007年2月28日に近鉄百貨店京都店が閉店し、ヨドバシカメラマルチメディア京都となった。続いて、2012年2月29日に近鉄百貨店枚方店が閉店し、近鉄百貨店が運営する旧丸物の店舗が消滅した。ただし、「丸物」を名乗っていない草津近鉄百貨店は近鉄百貨店草津店として営業している。

かつての店舗編集

百貨店の支店開設を阻止する法律や税法上の理由があって、別会社方式になった店が多い。そごうが後に同じ手法を取るようになるが、丸物では「松菱」「丸栄」といった全く別の名前を名乗った店もある。

近鉄百貨店になった店舗編集

  • 京都店(京都近鉄百貨店):本店、京都タワー北側
  • 枚方店:のちの草津と同じく、ほぼ近鉄百貨店として出店した
  • 京都近鉄百貨店岐阜店

―草津近鉄百貨店:この店では丸物の名称は使われなかったが、丸物京都店に通っていた顧客も多い

東京都編集

渋谷パルコPart1の場所に渋谷店があったという情報もあるが、実態は不明。

岐阜県編集

  • 大垣店:「ヤナゲン」や岐阜店の出張所とは別。名古屋鉄道のファッションビルを経て今は美術館となっている。

京都府編集

  • 舞鶴店:1950年ごろの一時期、マナイ商店街で営業していた。小型店舗だったが、ブリタニカ国際大百科事典にもなぜか存在が記載されている。

福岡県編集

  • 八幡丸物:北九州市八幡区にあった。創業者が旧福岡県八幡市と関係が深いらしく、「九州百貨店」からの救済要請に応じて買収。中央町交差点付近で営業していたが、最後はなぜか団地の1・2階に移ってわずか数年で閉店した。

かつての系列百貨店編集

静岡県編集

  • 松菱:2001年に破綻した後、2021年現在も跡地は空き地のまま。

愛知県編集

三重県編集

  • 津松菱:谷政二郎の孫が社長を務めている。周囲にあったダイエージャスコが撤退した今も黒字経営。

関連タグ編集

近鉄百貨店 - 京都近鉄百貨店(旧・丸物)の上場を維持するため、旧株式会社近鉄百貨店が法律上合併されているので、法律上は「丸物」を引き継いでいる。

パルコ - 東京丸物を西武百貨店が買収してファッションビルへ業態変換。法人も東京丸物を引き継いだ。

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