概要
炭治郎の心理
竈門炭治郎は、他者の事を気遣う綺麗な心根がある少年。そして誰かのためにすることは自分のためにもなる心情もあった。
竈門家は村から離れた山奥に住んでいたが、人柄の良さから家族は麓にいる村の人から好かれていた。竈門家は炭焼きを生業にしており、麓の村へ炭売りに行く他、村人が困っている時は手助けしており竈門家が困っている時は村の誰かが必ず助けてくれた。
また当時の竈門家長男、炭治郎は幼い頃に父・炭十郎から「自分が苦しい時でも人を慈しむことができる、しなやかで強い人間になれ」という言葉が常に胸へ燈っており、どんな時も頑張って精進する人間性が育まれていた(公式ファンブック・弐より)。
そしてある人探しの場面。炭治郎は「一緒に捜そうか?」と協力の姿勢をみせる。突然の申出に「なんで?」と人探しをしてる少年は問う。
「人のためにすることは結局」
「巡り巡って自分のためにもなっているものだし」
「俺も行こうと思ってたからちょうどいいんだよ」
柔らかい笑みと共に、透き通るような純粋さで答える炭治郎。
えっ?
無意識(かすみ)へ一筋の光
刀鍛冶の里にて、偶々の再会をしていた時透無一郎と竈門炭治郎。
無一郎は日輪刀を新調するなどの目的で里へ来訪していた。新しい刀鍛冶・鉄穴森鋼蔵を探していた彼は、もしかしたら知ってるかもしれない鬼殺隊士・炭治郎を尋ねに来た。
そして寝起きの炭治郎が告げた言葉「人の巡り合わせ」に意外な反応をする無一郎。
それまで無遠慮な姿勢が顕著だった彼からは出てこないような様相だった。
無一郎は「今何て言ったの?」と急かすように炭治郎へ問うも、彼が応えていた途中に禰豆子が起きて、問答は有耶無耶になってしまう。それまで寝ていた-アニメ版では鼻提灯を吹かして熟睡してた禰豆子が、兄・炭治郎の顎におでこをぶつける唐突な状況で空気が変わってしまったため、無一郎の意識は珍妙に動く小さくなった禰豆子へ傾いてしまったため、先程の気づきは遠のいてしまった。
また話題が鬼らしくない禰豆子へ移るも、無気力な感じで「なんだろう?」と緩い少年少女の交流はとても微笑ましい。
アニメ版では、ほわほわな背景音楽、小さくなった禰豆子が首を傾げる無一郎の真似をする仕草なども併せて、視聴者を癒しの世界へ誘う。
ここで注意だが、原作でもアニメ版でも、この緩い空気から急展開の戦闘へ変わるため、それを承知で閲覧する事を推奨する。
備考
お気づきの方もいると思うが、本稿「人のためにすることは巡り巡って自分のために」は諺『情けは人の為ならず、巡り巡って己がため』へ通ずる考え方。
作中のある双子兄弟も言い合ってたが、適用と誤用が混ざりやすい言葉。
本来は『誰かへの情け(慈しさ)が巡って自分に返ってくるから、親切は自分の為にもなる』だが、言葉通りに読み取ると「人に情けをかける(優しくする)ことは、結局はその人のためにならない」という誤解釈へなりやすいのが理由の一つになっている日本語。
「人の為にならず」ではなく「人の為にあらず」「人の為ならず(=「にすることではない」)」と覚えるとよい
関連タグ
???:炭治郎と同じように『人の巡り合わせ』を語った人物