概要
1947年11月15日、秋田県仙北郡角舘町(現在の仙北市)生まれ。
佐竹北家は養子相続が多く、敬久も佐竹義重の曽孫である久保田藩第3代藩主佐竹義処の男系子孫にあたる外祖父から家督を継承している。祖父は伊達晴宗や相馬義胤の女系子孫でもある。
東北大学工学部を卒業後に秋田県庁に入庁。商工部門や総務部次長を経て、退職後に1997年の秋田県知事選挙に立候補するも落選。その後、2001年に秋田市長選挙に立候補して勝利し、再選して2期秋田市長を務めた。
2009年2月に任期を5カ月残して秋田市長を辞職すると、同年4月の秋田県知事選に立候補して勝利し、第17代(公選)秋田県知事に就任した。以後現在までに秋田県知事を4選しているが、2025年の秋田県知事選には立候補せずに引退する意向を表明している。
2012年にウラジーミル・プーチンに秋田犬の子犬「ゆめ」を贈呈した事でも知られる。
なお本人は猫好きで、7匹も元野良の猫を飼い猫に昇格させて飼っている程。
余談
- のど薬で知られる龍角散は元々、秋田佐竹藩の典医(大名の主治医)である藤井玄淵が発明し、三代目の藤井正亭治が藩主の喘息を治す薬として改良したもので、藩の薬(藩薬)として重宝された歴史のある薬である。その縁もあって、龍角散のCMに出演している。ちなみに、現職知事が公職選挙法に抵触しない範囲で民間企業のCMに出演するのはこれが初めてで、産経新聞の報道によるとギャラは、弁当一つだったとか。
- 2015年10月31日、南米歴訪を終え帰国のため、経由地ブラジル・サンパウロの空港で入国審査を受けた際、別室に移動される珍事があった。理由は、知事が4年前に脳出血で倒れた際に体重が減少したことにより、倒れる前に撮影したパスポートの顔写真と顔が違うと指摘されたためだった。
- 近年は何かと失言が目立つ人でもある。2022年8月には豪雨被害を被った農家への支援を問われた際に比内地鶏について「(食感が)硬い。値段は(一般の鶏肉の)3倍だが3倍うまいかは分からない」「『軟らかい鶏が欲しい』という要望が非常に多い。比内地鶏はこのままではじり貧だ。頑固にやっているとつぶれる」と言って生産者の顰蹙を買ったり、2023年にはホテルでの会議で「秋田ほどうまいものがある所はない。四国なんかもう大変です。酒もうまくないし」「メインディッシュが出てきてステーキかなと思ってふたを開けたら、じゃこ天。貧乏くさい」「あと高知県。どろめ。あのうまくないやつ」と言ったのが全国報道されたりと...(いずれも後に謝罪)。それでもなんやかんやなっている辺り、正真正銘の「秋田の『お殿様』」の家系だからだろうか。
- ちなみに後者の失言の際、報道で却ってじゃこ天は知名度が上がり、生産元の愛媛県には秋田県を含め県外からの注文が増えた他、11月には東京で秋田県と四国4県が合同物産展を開くことにもなった。