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小川宏ショー

おがわひろししょー

小川宏ショーとは、かつてフジテレビ系列局(ほか)にて放送されていた番組の一つ。
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概要編集

1965年5月から1982年3月にかけて放送された。

ゲストとのテーマトークと、事件を追いかけ続けてはその様子をリポートしたり事件・事故現場からの生中継を交えたりした朝の情報バラエティ番組(ワイドショー)であった。


「木島則夫モーニングショー」(NET毎日放送北日本放送CBC名古屋テレビほか)の成功に刺激を受けたフジテレビが、それに対向すべく企画したもの。木島則夫が元NHK局アナであった事などもあり、やはりNHKの局アナであった小川宏を起用することにした。

だが小川は、「僕はかまわないけど周りが・・・」とはじめは尻込みをしていた。ゆえに何度か説得が行われ、結果、「最低2年はやらせて下さい」という小川の意向をフジが飲む事で立ち上げる事が出来た。むろん小川はフジに「移籍」している。

はじめの1年半はなかなか結果を出せずにいたが、曜日ごとにテーマを決め、そのテーマに沿ったトークを中心としつつ、事件や事故を取り上げるスタイルとしたことで、ようやく「モーニングショー」と肩を並べるまでになった。


しかし事件・事故報道における速報性が重視されるようになると、トークコーナーののどかさが足かせになっていった感は否定出来なくなってしまう。結果、報道性を重視した「おはよう!ナイスデイ」に置き換わることになってしまう。

こうして1982年3月31日、16年10ヶ月の歴史に幕が下りたのだった。


露木茂とのかかわり合い編集

露木 茂(元フジテレビアナウンサー)

この番組を語る上で外せないのが、フジテレビアナウンサーであった露木茂である。


番組立ち上げからアシスタントとして小川を支えていたのだが、労働組合活動に入れ込むあまり上層部に睨まれ、結果番組を追い出される事になってしまう。

だが、降板日になるはずだった日の放送終了直前に日本航空ボーイング727重大なアクシデントが発生してしまった、と言う一報を受け、視聴者に対して「取材に行ってきます」と発言、取るもとりあえずスタジオを飛び出し取材に向かった。生放送での言動ゆえに上層部も下手に介入が出来ず、結果露木はアクシデントの取材を続け、それが収まってからも、リポーターとしてではあるが、番組に残る事が出来た。

1975年にアシスタントに復帰、以後1981年3月まで勤め上げた。その後は報道センターからのニュース読み上げに転身するも、最終回まで出演している。


余談編集

  • 1979年2月11日放送分では「人気アニメ声優勢揃い」と称して、テレビアニメに「出演」していた声優を招いた特別企画を放送した。声優の顔出し出演は当時としてはあまりにも異例だったため、多くの視聴者を驚かせ、結果普段の視聴率の2倍である21%も取ってしまった。
  • 放送開始当初は月曜日から土曜日まで放送されていたが、1966年11月に土曜日の放送をやめてしまった。その代替番組を関西テレビに任せる事になり、こうして生まれたのが、「ハイ!土曜日です」であった。以来土曜日の朝9時台(+α)は、関西テレビ制作の全国ネット生放送番組枠となっている。

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