「私が、あなたの声になる。」
概要
東京大学を卒業後、15年間朝日新聞の記者を務める。そして、2021年に衆議院議員になった。
プロフィール
生い立ち
筑波大学附属駒場中学校・高校を経て東京大学法学部へ進学。中学と高校では軟式テニス部に所属していた。大学のゼミ活動でフィリピンのスラム街を訪れたことが、のちに新聞記者や政治家として「現場の声を聞く」姿勢で働く精神のきっかけとなった。
新聞記者から政治家へ
大学を卒業した2004年に朝日新聞へ入社。高知局と京都局を経て東京本社の政治部に移った。そこでは、菅直人元内閣総理大臣や自民党の谷垣禎一元総裁などの番記者を務めた。その後、沖縄局へ。翁長雄志元沖縄県知事も取材した。そして再び東京本社の政治部に戻った。
記者として取材を進めていくうちに、安倍晋三内閣を見て「自民党がすごく変わった。」と親友のカメラマンに明かした。国民が声を上げてもその声を聴いてくれない、本当のことを(特に安倍らは)言わないという政治になっていくことに危機感を感じていた。
これは、政治の現場を一番近くで見つめる当事者だからこそ感じる思いである。
その思いを胸に2019年、朝日新聞を退社。立憲民主党へ入党して参議院議員選挙に東京選挙区から立候補した。しかし、自民党の武見敬三に一歩及ばず落選(同時に立候補した元都議会議員の塩村あやかは当選)。その後は選挙でご縁があった練馬区を歩き、COVID-19で苦しんでいる区民の声を多く聞いた。
そして、2021年の衆議院議員選挙に東京9区から立候補。2年前のリベンジを果たし、初当選!
当選後は新聞記者時代に培った「質問する力」を武器に活動している。
その他
参議院議員選挙に立候補したとき、記者時代に取材した菅直人が山岸の選挙対策本部長を務めたほか、山岸が所属する立憲民主党のライバルである自民党の谷垣も応援してくれた(谷垣も山岸が取材した政治家のひとりだったから)。
父は朝ドラ「おしん」も手掛けたテレビカメラマン。なお、一生が27歳の時に亡くなった。
2021年時点の家族は妻(一生と同い年)、母、一生。
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朝日新聞 15年間勤務した新聞社。
塩村あやか 2019年の参議院議員選挙でともに立候補した。