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人物像編集

神奈川県横浜市出身。両親はともに第2次世界大戦での被爆者。


中学の頃からギターをはじめ、日本大学在学中にパワーハウスというバンドに参加するも割と短期間で解散。

日本大学を卒業後、ゴールデン・カップスというグループサウンズ(アメリカンロックバンド)に参加、1972年1月の解散まで在籍。

ゴールデン・カップス解散を機に一度は芸能界を完全に引退するも、友人であったギタリストの成毛滋に誘われてイギリスに渡る。そこでの経験がきっかけで芸能界復帰を決意、帰国後の1975年に自分のバンドである柳ジョージ&レイニーウッドを結成した。

「酔って候」、「雨に泣いてる」、「微笑の法則~スマイル・オン・ミー~」などのヒット曲を残し、1981年12月にレイニーウッドは解散。その後はソロのギタリスト兼歌手として活動した。


和製エリック・クラプトンの異名を取ったが、当の本人はエリック・クラプトンは好きではなかったらしい。


2011年10月10日、腎不全により永眠。享年63歳。


人物編集

  • 非常に謙虚な性格。「素の俺はとてもだらしがないんで歌だけは格好いいものを歌ってるんです」とか「(カバーアルバムは)企画ものなんですけどね・・・」といった発言からからもその人柄がうかがえる。
  • 大変な読書家として知られ、9割近くが歴史・時代モノを占めその数、実に数百点にも及ぶほど。ダウンタウンが司会を務める音楽番組にて「やっぱり読書が趣味なのか?」と問われると、「最近、老眼がきつくなって…」と返し、会場から笑いを誘った。
  • 音楽以外にも絵心もあったらしく、ツアーでのアイテムとして自身も含めたツアーメンバー全員の似顔絵がプリントされたTシャツを販売したり、自身のアルバムのジャケットイラストを手掛けたりとなかなかの腕前を誇っていたよう。
  • 「あんな大きな鉄のかたまりが、空中に浮かぶことが信じられない」と言うくらい飛行機旅客機)がダメで、国内の移動は原則鉄道船舶。海外への移動などで飛行機に乗らざるを得ない時は泥酔して寝る様にしていた。
  • 晩年、装甲騎兵ボトムズの監督・高橋良輔のラブコールを受けて、装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズのオープニング「鉄のララバイ」・エンディング「バイバイブラザー」を熱唱。全盛期の迫力こそ失われたものの、独特の深みを伴った歌声は「最高にむせる」とファンから絶賛を受けた。

意外な人物と意外なつながり編集

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