曖昧さ回避
- 桂太郎首相と西園寺公望首相が首相の座を交替し合っていた時代のこと。
→桂園時代
- 総理倶楽部における桂太郎(総理倶楽部)と西園寺公望(総理倶楽部)のカップリングのこと。
概要
首相の座を交替し合った桂太郎と西園寺公望。
一見すると対立しあった関係に思われるが、協調していた面も大きい。
お互いが情意統合して内閣を主導する持ちつ持たれつの関係であった。これが桂園時代となっていく。
第1次西園寺内閣直前の1906年1月4日。桂太郎の井上馨への書簡では、「西園寺とはしばしば面会し、新内閣組織の手伝人であって、年末年始は多忙を極めた」という。
後に辞任を表明した西園寺公望は、桂太郎を後任に推薦。これを元老会議を開かずに主導し、晴れて第2次桂内閣が成立した。
また総選挙が近づいてきたこともあり、今度は桂太郎が西園寺公望へ禅譲。第2次西園寺内閣も成立した。