曖昧さ回避
火垂るの墓における清太
CV:辰巳努
海軍大尉の父と母と妹の節子の四人家族、学徒動員として働いていた。
共同生活の最初辺りはほぼ問題無かったが……段々叔母との関係が悪化し、節子を連れてあまり使われていなかった横穴式の防空壕へ引っ越すことに決め、しばらくは誰にも頼らないもとい自分と節子以外の者は誰も来ない楽しい生活を送っていた。
しかし、配給などで手に入る食料が激減したことで段々栄養失調で節子が弱っていくという事態に危機を感じ、近所の畑を荒らしたり、火事場泥棒もするようになる。
ある日、節子が倒れていたので病院に行って診察してもらった際、医者から「栄養(滋養)をつけなさい」と言われ、翌日親の全財産をおろすことに決めたが、訪れた銀行で日本の敗戦と海軍軍人である父が戦死したことを知ってショックを受けてしまう。
さらに何とか買ってきたスイカを節子に食べさせたが、既に手遅れでほどなく節子は息を引き取った……。
とうとう孤独になった清太は節子を火葬した後は防空壕には戻らず、遺骨を形見のドロップの缶に納めて持ち歩き放浪する。
しかし自身も栄養失調に冒されており(生活拠点を捨てるなど、本人にも既に生きる気力がない様子も窺える)程なく三宮駅構内で最期を迎え、節子の後を追うこととなる。9月21日、終戦から僅か1ヶ月程であった。
持っていたドロップ缶は人骨が入ってるとは微塵も思わなかった駅員に駅外へ投げ捨てられてしまった。
その後、節子と共に幽霊となって出現。
アニメ映画では清太が語り手であるため、冒頭でこの演出が入り、以降も各所で清太の幽霊が生前の自分達を見ている演出が入る。
ラストでは戦後約40年(西暦1985年)で驚異的な復興と発展を遂げた神戸市と日本の夜景を見下ろしていた。
バッシング
主人公の死という衝撃のモノローグから始まる本作。
こうした結末になってしまったのは追い出した(正確には清太たちの扱いが悪かっただけで直接追い出した訳ではない)親戚の叔母さんが主な原因という人が多いのだが、一方で
- 裕福な環境で育ったこともあり、労働や家の手伝いをせず、遊んでばかりで余裕のない叔母さんを余計苛々させる(空襲の緊張が無くなったせいか、空襲で発生したPTSDの症状が原因だったりする。そもそもその時の清太からしたら、空襲でこれまでの裕福な生活が全て崩れ去った挙句、母親が空襲による大火傷で悲惨な最期を遂げ、父親は軍に行っているため音信不通という中学生にとってはあまりにも悲惨過ぎる経験をした直後であり、しかも4歳の妹を不安にさせないためにも、絶望に打ちひしがれてぼーっとしている訳にもいかなかった)
- 深く考えもせず、行き当たりばったりの行動をする(もっとも成人した大人ならともかく、清太は中学生であり年相応の行動と言えなくはない)
- 関わる大人達の声に耳を貸さず結果的に間違った道を選んでしまった点(防空壕生活の時には近くの農夫のおじさんがそうだったように『叔母さんに頭を下げて再び世話になる』ことを勧める人もいたが清太は受け入れられず、悲劇的な結末を迎える事となった)
など清太にも非があったとし激しく糾弾する人もいる。詳しいことはこちらを参照。
ただ言えることは清太は既に死という罰を受けており、幽霊になった清太は本編を見ている私たちを今も見ている。
一部の人たちは戦争がもたらす悲劇に耐えられず、清太をバッシングすることで自分の心の平穏を保とうとする。清太が一部の人の憎悪を強烈に喚起するのは、受け入れがたいほどの悲惨なストーリーへの反動だろう。⇒公正世界仮説
監督である高畑勲の意図について
アニメ映画において監督を務めた高畑勲氏は、「アニメージュ1988年5月号」(徳間書店)の記事において「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べている。
また「本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」とも語っている。
また、「本作では兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものである」と解説し、「特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたい」と語っており、現代の感覚が戦時下においては全くと言って良いほど通用しなかった事を暗示している。
さらに、
「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします。」
とも語っており、時代背景や登場人物の心情を無視し、「清太が悪い」と切って捨てる意見に対して警鐘を鳴らしている。
モデルは原作者である野坂昭如であるが、自身と比べるとかなり相違点がある。
野坂氏は節子のモデルである義妹に与えるべき分の食料まで空腹のあまり自分が食べてしまうなど、当時義妹を負担に感じており、自分は清太のように出来なかったと亡き義妹に対しての悔恨の言葉を述べている。
備考
現実の終戦直後でも清太のように行き場を失った戦災孤児が数多くいたが、酷い場合は保護どころか囚人のごとく連行されて檻に閉じ込められる等、清太以上に悲惨な末路を辿ったケースもあった。