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生命の木

せいめいのき

「生命の木」とは、諸星大二郎による「妖怪ハンター」シリーズの一作である。
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「みんな ぱらいそさ いくだ!」


概要編集

「隠れキリシタン」を題材にした怪奇ミステリーとしての完成度の高さに加え、作中のある人物が発した上記のセリフでも有名。

また、本作を原作とした映画「奇談」が2005年に公開されており、独自の設定や登場人物が追加・変更されている。


以下、本記事では、漫画版を「原作」、映画版を「奇談」と呼称する。「奇談」の設定についても併せて記載するが、特に注釈がない場合は原作の内容に準拠する。


あらすじ編集

隠れキリシタンの里として知られる東北の寒村を訪れた主人公は、村に伝わる「世界開始の科(とが)の御伝え」(後述)を独自に調べていた学者・稗田礼二郎と出会う。奇しくも彼らが村を訪れるのとほぼ同時期に、”はなれ”と呼ばれる村の近隣にある集落の青年・善次にされて殺される事件が発生した。調査を進める中で”はなれ”を訪れた主人公らであったが、住人らは忽然とその姿を消してしまっていた。唯一残っていた住人・重太に行方を問うが、返ってきた答えは「いんへるのいっただ」「それからぱらいそいくだ」という謎めいたものであった。


登場人物編集

(★)が付いた人物は「奇談」オリジナルのキャラクターである。

主人公編集

ぼく

「原作」における主人公。10代半ばの少年。

全国の隠れキリシタンに関する伝承を調べる中で、「世界開始の科の御伝え」に興味を持ち、来訪する。


佐伯里美(★)

「奇談」における主人公。大学院生の女性。

16年前に親戚の家があった渡戸村(後述)に預けられていた際に神隠しに遭うが、その時の記憶を失っている。以来、度々夢の中に現れる奇妙な少年が、同時期に行方不明になった小杉新吉であることを知り、調査を始める。


稗田礼二郎

妖怪ハンターの異名を持つ、気鋭にして異端の考古学者。本来はシリーズの主人公であるが、今作では解説役。

「世界開始の科の御伝え」の伝承を調査するべく村を訪れていた際に「ぼく/里美」と出会い、行動を共にする。


村 / 渡戸村編集

東北地方にある寒村で、昔、迫害を逃れた隠れキリシタンが拓いたとされる。「渡戸(わたらど)村」は「奇談」での名称で、「原作」では特に名を呼ばれることはない。また「奇談」では、50年に一度、7才の子供が神隠しに遭うという事件が起こる。


神父

村のカトリック教会の神父で、主人公らの案内役を務める。「原作」では老人だが「奇談」では中年男性。神父らしく穏やかな言動で村人からも慕われているが、”はなれ”の住人とは教義の違いによる確執が度々あったらしく、時折差別的な発言が出ることもある。


小杉新吉(★)

16年前に里美と共に神隠しに遭った少年。以来、行方知れずであったが、作中中盤で突然村に現れる。産まれてすぐに親が育児放棄をして都会に出たために祖母によって育てられたが、里美らが村を訪れる前にその祖母も亡くなり、天涯孤独の身であった。


お妙(★)

渡戸村の長老の老婆。里美らに村の歴史を教える。まだ幼かった明治時代に兄とともに神隠しに遭うが、里美と同様に彼女だけ発見された過去を持つ。


静江(★)

お妙とともに暮らす若い女性。その正体は、江戸時代の天保年間に神隠しに遭い、突然現代に帰ってきた存在。同じ体験をしたお妙が養女として引き取り育てていた。


“はなれ”編集

村 / 渡戸村から山を一つ越えた地域に位置する集落。村の住人の祖先となる隠れキリシタンが始めてその地を訪れた時点で、既に現在の位置に存在していた。住人は極めて閉鎖的で他の集落とも交流を持とうとせず、また皆が知能の発達に遅れを抱えているが、これは長い間、集落内で近親婚を続けてきた影響と考えてられている。さらに「世界開始の科の御伝え」を聖典とする独自の教義を信仰しており、葬式を出すことがなく、墓地も発見されていない。村の者からも関わり合いになることを避けられ、特に「奇談」では前述の神隠しはこの住人の仕業であるとして、忌み嫌われている。


善次

“はなれ”の出身で、痩躯の青年。村付近にある「軽張山」の頂上で磔にされて死亡しているのが発見された(発見者は「原作」では神父、「奇談」では稗田である)。遺体はすでに腐敗が始まっていたため、やむを得ず村の教会の地下室に安置された。生前は病人を親身に介護する優しい性格であった。


重太

“はなれ”に住む老人(「奇談」では中年男性)。他の住人が跡形もなく姿を消した中、ただ一人残っていた。住人の行方を問われると、「いんへるのに行った」「それからぱらいそに行く」と答え、さらに「自分だけは行けない」と嘆いた。そして主人公らに、善次を殺したのは、三じゅわん(後述)の指示による“はなれ”の住人皆による行為であると教えた。


???編集

三じゅわん

物語の終盤、主人公らがある場所で出会った三人組。ぼろ布のようなマントをまとい、得体のしれない雰囲気を漂わせている。善次殺害の指示を村人に与えた張本人とされる。


「世界開始の科の御伝え」編集

“はなれ”で語り継がれている「聖書異伝」。実際に長崎の隠れキリシタンに伝わる「天地始之事」の内容を踏襲したものと思われる。しかし、こちらが原典である旧約聖書失楽園の内容を踏襲しているのに対し、「世界開始の科の御伝え」では原典とは明らかに異なる奇妙な記述がみられる。作中では全文が記載されているが、以下に内容を要約・抜粋する。

  • あだんえわの他に、じゅすへると呼ばれる男が登場する。
  • あだんとえわが知恵の木の実を食べ知能を得たのに対し、じゅすへるは生命の木の実を食べ不死となった。
  • 彼らはその罪で楽園を追われ、あだんは妻のえわと下界で暮らした。
  • 一方のじゅすへるの子孫もまた不死であったため、将来的に彼らが世界を埋め尽くすことを憂いた神は、新たにいんへるのを作った。
  • そしてじゅすへるの子孫たちに、ある時期が来るといんへるのに堕ち、きりんとが現れる日まで尽きぬ苦しみを味わうよう、呪いをかけた。










※これより先は「物語の結末」に関するネタバレが含まれます。作品未読の方はご注意下さい。










物語の結末(ネタバレ注意)編集

“はなれ”の調査を行っていた主人公らは、荘厳な聖堂を思わせる広大な洞窟を発見する。その深部には床に開いた巨大な長方形の穴と、その傍に佇む謎の三人組「三じゅわん」がいた。重太は三じゅわんに何らかの許しを乞うが、彼らは一顧だにしない。続いて稗田がいくつかの質問をするも、奇妙な笑みを浮かべるばかりで返答はなく、代わりに穴を指さし「いんへるの」と呼んだ。穴を覗き込んだ主人公らは、はるか地下深くの空間の底でもがき苦しむ、夥しい数の人間たちを目撃する。


“はなれ”の住人の正体は、生命の木の実を食べたじゅすへるの子孫たちであった。彼らの知能が低かったのは、普通の人類、すなわち知恵の木の実を食べたあだんとえわの子孫と違い、先祖のじゅすへるがそれを食べなかったからである。そして、先祖の犯した罪により永遠の命を得た彼らは、代償として神に呪われ、一定の年齢になるといんへるのに堕とされ、無限の苦しみに苛まれる宿命を背負っていたのだ。


恐ろしい光景に戦慄する主人公らの前に、磔にされて死んだはずの善次が現れる。彼こそがいんへるのに堕ちたじゅすへるの子孫たちを永遠の苦しみから解放する“救世主”であり、彼が“はなれ”の住人たちに殺されたのは、かつて“あだんとえわの子孫たちにとっての救世主”が起こした奇跡を再現するためであった。そして伝承と同じく、死から三日後に復活した彼は、大きく手を広げて声高らかに叫んだ。


「みんな ぱらいそさ いくだ!」

「おらといっしょに ぱらいそさ いくだ!」

東方ハンター稗田阿求 「信仰の木」


その声に応えるかのように、いんへるのに囚われていた無数の子孫たちは、一塊になりながら天へと昇っていく。その姿はまるで大空へと延びる一本の大樹のようであった。同時に善次と三じゅわんらも、彼らを守り導くように空中へ浮かび上がる。――ただ一人、自分も連れて行ってくれと泣きながら懇願する重太を残して。それに伴い洞窟は崩壊を始め、主人公らは彼らを後に急いで脱出する。

空へと伸びる一塊の子孫たちは、やがて夜空にそびえ立つ巨大な光輝く十字架となり、その眩い光は山を挟んだ近隣の村からも確認される程であった。しかし、その十字架が消失した後にはもはや誰一人残っておらず、“はなれ”は廃墟となり消滅していったのである。


「奇談」では編集

“はなれ”の真実に絶句する里美らの前に、新吉が現れる。両親に捨てられ祖母を亡くし、天涯孤独の身となった彼は現世に嫌気がさし、じゅすへるの子孫たちとともにぱらいそへ行くことを決めていた。そして、里美にも共に行くよう勧めるが、これを拒まれたため、一人でいんへるのに身を投げた(この時、とっさに抱き留めようとした稗田の腕を残像のようにすり抜けていたことから、既にこの世のものではない存在になっていた可能性がある)。

その後の展開は「原作」をほぼ踏襲する(新吉も子孫たちとともに天へ昇って行った)が、これとほぼ同時期に、村の外れでは過去に神隠しに遭い行方不明になっていた大勢の子供たち(長老・お妙の兄を含む)が、当時の姿のままで忽然と出現した。

そして、一連の出来事の後に都会に戻り、クリスマスムードの雑踏の中を歩む稗田が、浮浪者となってさまよい歩く重太とすれ違い、言葉を失う場面で終了する。


備考編集

登場人物の元ネタについて

上記の通り、作中に登場する“はなれ”の関係者は、旧約聖書の登場人物との間に対応関係がみられる。以下にその内容をまとめる。

なお、神父は「さん」とは「三人」の意味ではないと否定するが、これに対して「奇談」の稗田は、聖書には洗礼者のヨハネ十二使徒のヨハネ黙示録のヨハネの、三人のヨハネが登場すると指摘している。


重太がぱらいそへ行けなかった理由

他の“はなれ”の住人が皆「ぱらいそへ行った」中、なぜ重太一人が取り残されたのかについては、「原作」「奇談」共に最後まで描写されなかった。元ネタの人物であれば、赦しが与えられなかったことにはある程度説得力はあるが、それと重太本人との関係性は不明のままである。

これについて一部のファンの考察では「善次を殺す儀式に参加することを拒んだから」ではないかと推測されている。善次が奇跡を起こして復活すれば子孫たちは救われるが、もし奇跡が起こらずに善次が蘇らなければ、参加者はただの殺人者集団として警察に逮捕されてしまう。重太はそれを恐れたために、儀式――遠い昔からいんふぇるのに堕とされ苦しみ続ける宿命を背負った一族が救済される唯一の方法――を拒絶し、結果、三じゅわん及び他の住人らから”奇跡を信じず一族の悲願への協力を拒んだ裏切者”とみなされたことが原因とする説である。ただし先述の通り公式の設定は存在しないため、これもあくまでファンによる仮説の域を出ていない。


「じゅすへる=Lucifer」?

「世界開始の科の御伝え」及びその元ネタである「天地始之事」において、登場人物や用語の日本語での発音・呼び名は、ほとんどが「あだん」や「えわ」など、原点に近い発音で伝えられている中、「じゅすへる」は「ルシファー(Lucifer)」を差し、子音が一致しない。この理由としては、スペイン語では「ジャ」行と「リャ」行と「ヤ」行の発音を区別しない(例えばスペイン料理の「アヒー“ジョ”」は「Aji“llo”」と表記される)ことから、日本では「ジャ」行での発音が主流として広まったとする説、また薩摩弁では「リャ」行が「ジャ」行として発音されることから、地理的に比較的近く布教の中心であった長崎主変でも似たような発音が行われていたためとする説、がある。


演者について

「奇談」では阿部寛が稗田礼二郎を演じているが、1991年に公開された別の映画作品では沢田研二が彼の役を担当している。そのため、原作シリーズの一編では、稗田が学生らに「沢田研二に似ている」「ジュリー(沢田の愛称)に似ている」と評される場面がある。

また、「奇談」は邦画であり、主要キャストも日本人俳優だが、善次のみは俳優の演技に合わせて声の吹き替えが行われている。彼のCVを担当したのは、声優の三ツ矢雄二である。

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