概要
- 要目
総トン数 | 90トン |
純トン数 | 41トン |
全長 | 26.5m |
幅 | 5.1m |
深さ | 2.6m |
主機関 | 石油発動機 1基 |
推進器 | 1軸 |
出力 | 130馬力 |
藤永田造船所で建造され、1935年10月に進水。日東漁業株式会社により第二十三日東丸と命名される。太平洋戦争勃発前は底引き網漁船として操業していたとされる。
1941年12月1日に大日本帝国海軍により特設艦船(特設監視艇)として徴用され、12月10日に内令第1635号により横須賀鎮守府所属となる。7名の乗組員は軍属に任じられた。12月31日、計116隻の特設監視艇が所属する連合艦隊第5艦隊第7根拠地隊の第7防備隊第5小隊3番艇となる。
1942年1月7日から25日にかけて、横須賀・父島間の哨戒任務に従事。2月1日、内令第195号により北方海域を担当する第2監視艇隊に転属。艇長に中村盛作兵曹長が着任した。この時点では13ミリ機銃1挺を装備していたと思われる。その後は釧路を拠点に哨戒。所属する76隻は3隊に分かれ、20日ほどの交代制で哨戒に臨んでいた。4月4日、釧路を出港して本土東南海上の哨戒任務に従事。4月17日正午、第3哨戒隊と交代して釧路への帰還途上にあった。
ドーリットル空襲
4月18日06:30頃、第二十三日東丸は本土東方1,237kmの洋上に煤煙と航空機を発見する。これはドーリットル空襲を行おうと接近中の米機動部隊で、空母2隻(ホーネット、エンタープライズ)を主力としていた。
以下は戦闘の経過。但し、第二十三日東丸側に生存者はいない為米軍の記録に基づく。
- 03:15 空母エンタープライズ(CV-6)がレーダーで第二十三日東丸をはじめとする船影を探知。夜明けとともに索敵の為にSBDドーントレスが発艦する。
- 06:15 索敵中のドーントレスが第二十三日東丸を発見。無線封止中だった為に連絡筒をエンタープライズ艦上に投下して報告した。
- 06:30 第二十三日東丸が米機動部隊と哨戒中のドーントレスを発見し「敵艦上機ラシキモノ三機発見」と打電。
- 06:34 第二十三日東丸が「敵空母一隻見ユ」と打電。
- 06:45 第二十三日東丸を軽巡洋艦ナッシュビルが発見。射撃許可を求める。
- 06:50 第二十三日東丸が「敵空母三隻見ユ」と打電。
- 06:53 砲撃許可を受けてナッシュビルが第二十三日東丸への砲撃を開始。
- 06:56 空母エンタープライズよりドーントレス数機が飛来し爆撃を行うが命中せず。第二十三日東丸が機銃で反撃したのが目撃された。
- 06:57 第二十三日東丸が針路を変え、米艦隊へ突進を開始する。恐らくは逃走は不可能と見て体当たりを試みたものと推測される。
- 07:02 再びエンタープライズよりドーントレス数機が飛来し爆撃を行うが命中せず。(1機を被弾させて不時着に追い込んだとの説あり)
- 07:10 第二十三日東丸が「敵機二機見ユ」と打電、続けて「敵大部隊見ユ」と発信し、これが最後の報告となる。
- 07:21 ナッシュビルが第二十三日東丸の炎上を確認し、砲撃を中止。 この時刻に上空から撮影された写真が現存している。
- 07:23 第二十三日東丸が沈没。
- 07:27 ナッシュビルが第二十三日東丸の生存者を発見するが救助に至らず。
- 07:46 第二十三日東丸の撃沈を確認したナッシュビルが機動部隊に合流する。
生存者2名が確認されたものの「ナッシュビル」到着前に沈んでしまっており(自ら救助を拒んだとの説もある)、艇長中村盛作兵曹長以下乗員14名(軍人7名、軍属7名)は全員戦死した。
昭和18年3月15日、日本海軍は「第二十三日東丸」に対し感状を授与した。