概要
1929年9月1日生まれ。東京府東京市深川区(現在の江東区)出身。本名は奥村勝(おくむら・まさる)。父親は長唄三味線の杵屋勝東治、弟は勝新太郎、息子は若山騎一郎。
1949年長唄の和歌山富十郎に弟子入りし、若山富三郎の芸名で1955年に新東宝からデビュー。主演から脇役まで幅広い役柄を演じた。中でも主演の映画「人形佐七捕物帳」は多数作られた。
更に長唄で鍛えた美声でミュージカルにも出演している。
特に時代劇においては殺陣の名手と評され、弟の勝も殺陣では敵わないと評している。日本を代表するアクション俳優でありJAC(ジャパン・アクション・クラブ、後のJAE)の創設者である千葉真一は、彼を師としていたという。
しかし長年の不節制な生活が祟り、1984年に心筋梗塞で入院。ハワイでバイパス手術を受けて復帰するも1990年に腎機能障害を発症して入院。医師から「生活習慣を改善しなければ来年の夏まで持たない」と余命宣告を受け、週3回の人工透析を受ける生活となる。
1992年4月2日、自宅に勝や中村玉緒に清川虹子を招いて食事会を催した後、マネージャーに麻雀卓の用意をさせている最中に倒れ、急性心不全でこの世を去った。62歳没。
趣味・嗜好
大酒豪で知られる勝とは真逆で下戸にして大の甘党。楽屋に大福、キャラメル、コーヒー牛乳など甘味類を常備し、夜中に後輩俳優を呼び出して汁粉を振る舞ったりもした。実家が和菓子屋だった潮健児は若山に「甘味を増すために塩を入れるのは素人。玄人は砂糖をもっと入れる」と進言し、若山に一目置かれるようになったという。
騎一郎いわく、スーパーマリオブラザーズにドハマりし、事務所のスタッフ全員を参加させて賞金も出す大会を開く、1人でも毎日プレイして腱鞘炎になっても包帯を巻いてプレイし続ける、スーパーマリオ2発売時には仕事を休んでまでクリアしようとしたなどの逸話がある。