藤原真楯
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ふじわらのまたて
藤原真楯とは奈良時代の公卿。初名は八束。
聖武天皇朝では同母兄の永手より重用され、748(天平20)年に参議に任官し公卿となる(永手が公卿となるのは6年後)。
しかしその才を従兄弟で権力を高めつつあった藤原仲麻呂に警戒されて篭居を余儀なくされ、その間に孝謙天皇朝へ移り永手が757(天平勝宝8)年までに従三位中納言へ昇進する一方で昇進が差し押さえられてしまう。これに危機感を抱いた八束は、仲麻呂の唐風官称政策に賛同し「真楯」の名を賜ることで仲麻呂の信用を得、760(天平宝字4)年に従三位、762年に中納言となることができた。
764(天平宝字8)年の藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側につき、その功により正三位に昇進し、近衛府の前身となる授刀衛の長官である授刀大将を中納言と兼務した。その後は称徳天皇・道鏡による政治体制に対抗する為永手と協調路線を取り、766(天平神護2)年正月に大納言となったが、同年3月に亡くなった。
永手が最終的に正一位・左大臣まで出世したのと比べると振るわなかったが、息子たちの代では永手の嫡男・家依が従三位・参議で若死にしその後没落していくのに対し、真楯の嫡男・内麻呂が従二位・右大臣まで昇進し、さらに対抗馬であった藤原式家も没落することで北家の優位が確立することになっていった。
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