日系コロンビア人の元サッカー選手。本名は「ホセ・カオル・ドク」。
1948年に創立されたコロンビアのプロリーグで、初優勝したインデペンディエンテ・サンタフェの優勝メンバー。海軍と兼任でサッカー選手として活躍。翌年からはキャプテンを務めた。
1951年、コロンビア代表に召集。パラグアイ代表戦に出場。
1952年、日本に行けるかもしれないと考え、朝鮮戦争行きを志願し、サンタフェを退団。海軍の一員として日本に駐留中に父親の故郷である竹原を訪れ、父親の家族に会った。
1959年まで、サッカー選手として活躍。トレードマークは白い鉢巻。日本の血が入っていることを誇りに思い、付けていたという。
引退後はアマチュアクラブの指導者になり、アトランティコ県選抜チームの監督として、1960年に全国優勝した。
自身の発案で、バランキージャ市で日本・コロンビア友好協会を設立。会長を務めた。また、朝鮮戦争退役軍人協会でも法務部門の代表を務めた。
1990年、勲五等瑞宝章を受勲。